天岩戸の神事が冬至ではないと考える理由

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天岩戸の神事が冬至ではないと考える理由

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目的

一般的には
天岩戸の神話は「冬至」か「日食」を表していると言われていますが、わたしは天岩戸の神話は「長い梅雨を祓う」ことを目的とした神事と考えています。ここでは「長い梅雨」似ついてではなく、「なぜ冬至と考えないか?」について述べて行きます。

冬至の意義

冬至は日本人にとって特別ではない
日本人は「冬至」を特別視する感覚を持っていません。
確かに冬至というとカボチャを食べて健康を願うという風習はありますが、一般的ではありません。ではなぜ、日本では冬至を特別視しないのか? 逆に欧米でなぜ冬至を特別視するのか??

ヨーロッパは緯度が高い
イギリスは北海道より緯度が高い(=北海道より北に位置する)、ということが教科書に書かれているように、ヨーロッパは日本より緯度が高い地域です。緯度が高いというと「寒い」というイメージですが、それだけではありません。夏と冬の日照時間の差が激しいのです。

緯度が高いと夏と冬の日照時間が大きく違う
例えば北欧には「白夜」があります。夏の一時期、一日中、太陽が沈まなないのです。なぜあんなことが起きるかと言うと緯度が高いからです。逆に冬は非常に日照時間が短くなります。

日本は緯度が低いので、夏と冬の間に日照時間の差があるといっても大した事ありません。しかしイギリスでは夏と冬に日照時間が強烈にあります。イギリスの夏は夜の8時や9時になってもまだ空が明るいのです。だからイギリスではサマータイムという制度が成立します。反対にイギリスの冬は昼の時間が短く、夕方の4時には暗くなって来ます。

そんなヨーロッパ・北欧にとって冬至は恐怖です。
このまま太陽が消えてなくなってしまうのかもしれない。そう錯覚するほどに昼の時間が短いのです。だから冬至を神話化する必要がありました。冬至を特別視しました。クリスマスも元々はケルトの「冬至の祭り」です。
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天岩戸神話=冬至と考えて来たのは西洋神話学の影響

既存の学者はなぜ天岩戸神話を冬至と考えるのか?
江戸時代を終え、明治に入ると日本に様々な学問が入って来ました。その中に「神話学」がありました。神話を「学問」と捉えるのです。神話学は西洋の学問ですから、西洋の常識で神話を捉えようとします。だから、西洋では特別視される「冬至」を天岩戸の神話に当てはめました。それが「西洋の神話学」の常識だからです。

天岩戸の神話は日本の風土で生まれた神話です。
仮に何処かの地域から伝わった神話だとしても、日本に残ったと言う事は日本の風土に逢っていたからです。もしくは日本に伝わった後に日本の風土にあった変容をしたはずなのです(あくまで仮に外部から伝わった場合の話)。それを西洋の神話の常識で分析すれば当然的外れになります。

日本人にとって冬至はそれほど特別なものではありません。これを古事記・日本書紀で重要な物語として取り上げるわけがありません。天岩戸の神事は冬至とは関係ないと考えるべきでしょう。

参考:天岩戸の神事が日食ではないと考える理由
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