長い梅雨

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長い梅雨

漢字・読みツユ
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概要

まとめ
●縄文後期から弥生〜平安時代に、気温は100年で4℃上下した。
●気温が上がると朝鮮に進出し、下がると飢餓が起きている。
●気温が下がると太平洋高気圧の力が弱くなって、日本の上空に梅雨前線が長居したのではないか?
●梅雨が長引くと日照時間が短くなり、稲が不作になり、高湿度が長く続くので、モノが腐り、食中毒や疫病が流行ったのではないか?
●梅雨への恐怖が天岩戸の神事や夏越の祓い、祇園祭などになっていったのでは??

古代の日本人にとっての梅雨

長い梅雨
縄文後期、弥生から古墳にかけて気温が上下しました。現在より2.5度ほど寒かったり、逆に2・5度ほど暖かかったり。100年で4度くらいは上下していたようです。たいした事ないように思えますが、100年で気温が1度上がって、「温暖化だ!」と騒いでいるくらいですから、気候の変化はかなりあったはずです。
ちなみに、この時期の気温の変化の原因は太陽の気まぐれです。二酸化炭素は関係ありません。太陽の黒点の数の増減などでこのくらいの気温変化は地球の歴史では珍しくありません。


この気温の変化と大和朝廷の朝鮮半島への進出がリンクしています。
気温が高いと国力が増し、半島へ進出し、
逆に気温が低いと、飢餓と疫病が起きて、混乱しました。
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日本人と稲作と梅雨

大和朝廷は稲が作れる地域であるからこそ
大和朝廷の制度は「稲」が基本です。
稲は保存が利いて、通貨の代わりになるので、これを基準として国が成立していました。
だから気温が高くなって朝鮮半島でも稲作ができるようになると進出したというのもあるでしょう。大体、朝鮮半島はあまり稲作に適していないんですから。

反対に、気温が下がると半島への進出には意味がなくなります。
またそれだけでなく本国である日本で、天変地異が起きやすくなる。
それが「梅雨の長雨」です。
平均気温の低下が長い梅雨を生んだ?
私は気温が2.5度も下がると、太平洋高気圧の力が弱まって、梅雨前線が本州に停滞しやすかったのではないか?と考えています。だから長雨の恐怖は現在のそれとは比べ物にならなかったハズなのです。冷蔵庫といった文明の利器もありませんでしたから。
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