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外国人が捕鯨に反対する理由
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まとめ
●日本人はあらゆるものに魂・霊があると思っている。
●キリスト教圏の人は魂や霊を持つものは限られている。その代表が人間。人間は神に特別に作られたもの。
●ではキリスト教圏の人にとって魂や霊とは何を指すか? それは知性。
●クジラは賢い。賢いから魂があり、賢いから殺すのは可哀相、となる。
●よって豚や牛はいくら殺しても可哀相ではない。
●馬鹿はどうなってもいい、ということ。
●捕鯨禁止は、一種の宗教弾圧、もしくは自宗教観のおしつけ。
●キリスト教圏の人は魂や霊を持つものは限られている。その代表が人間。人間は神に特別に作られたもの。
●ではキリスト教圏の人にとって魂や霊とは何を指すか? それは知性。
●クジラは賢い。賢いから魂があり、賢いから殺すのは可哀相、となる。
●よって豚や牛はいくら殺しても可哀相ではない。
●馬鹿はどうなってもいい、ということ。
●捕鯨禁止は、一種の宗教弾圧、もしくは自宗教観のおしつけ。
日本人とクジラ
日本人はクジラを食べます。
日本人がクジラを食べることや、北欧の人や韓国人がクジラを食べることは、正直な話、これといった理由はありません。食べられるからです。クジラが捕れる地域に住んでいて、ずっと食べてきたからです。他の食べ物が少ないから、と言ってもいいでしょう。いわば生きるためです。
日本人がクジラを食べることや、北欧の人や韓国人がクジラを食べることは、正直な話、これといった理由はありません。食べられるからです。クジラが捕れる地域に住んでいて、ずっと食べてきたからです。他の食べ物が少ないから、と言ってもいいでしょう。いわば生きるためです。
このページでは日本人とキリスト教圏の捕鯨に対する態度から、両者の「魂」の意義について述べます。「魂」をどう扱うか?は宗教の分野で捕鯨とは関係ないような気がしますが、実は、捕鯨は一種の「宗教戦争」という側面があります。ただ、あまりに「価値観」が生活に浸透していて、両者に「宗教」という意識が薄いために、まだそういった切り口が無いだけです。
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捕鯨と魂の所在
魂とは?
魂とは何処にあるのでしょうか?
日本人にとって魂というのは、何処にでもあるものです。
人間だけが持っているものではなく、自然界にあるものすべてに魂…霊が宿っていると考えています。木や草、山や石、川や海、自然物だけでなく人間が作った道具にも霊が宿ります。
だから日本人は米といった穀物も、動物にも霊が宿っていると考えています。
よって当然ながらクジラにも霊が宿っています。
「霊や魂がある」のならば心がある。
と、キリスト教圏の人は考えます。
心があるから、これらを殺すのは可哀想と、なるわけです。
ところが日本人はそんなことを言っていられません。
霊がある、心があるものを殺しては行けないならば、何にも食べられないのです。それでは日本人は生きていられません。日本人にとって心や魂や霊の有無は「殺してはいけない」理由にはなりません。
魂とは何処にあるのでしょうか?
日本人にとって魂というのは、何処にでもあるものです。
人間だけが持っているものではなく、自然界にあるものすべてに魂…霊が宿っていると考えています。木や草、山や石、川や海、自然物だけでなく人間が作った道具にも霊が宿ります。
●妖刀なんてのもそうです。
●「勿体ない」という言葉はあらゆる(道具を含んだ)物体を軽んじると、その道具・物体に宿った霊にしっぺ返しを食らうよ、という戒めです。これはあらゆる物体に霊が宿っているという感覚が無いと成立しない戒めです。
●「勿体ない」という言葉はあらゆる(道具を含んだ)物体を軽んじると、その道具・物体に宿った霊にしっぺ返しを食らうよ、という戒めです。これはあらゆる物体に霊が宿っているという感覚が無いと成立しない戒めです。
だから日本人は米といった穀物も、動物にも霊が宿っていると考えています。
よって当然ながらクジラにも霊が宿っています。
「霊や魂がある」のならば心がある。
と、キリスト教圏の人は考えます。
心があるから、これらを殺すのは可哀想と、なるわけです。
ところが日本人はそんなことを言っていられません。
霊がある、心があるものを殺しては行けないならば、何にも食べられないのです。それでは日本人は生きていられません。日本人にとって心や魂や霊の有無は「殺してはいけない」理由にはなりません。
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キリスト教圏の人にとって「魂」とは「知性」
キリスト教圏の人にとっての魂とは?
ではキリスト教圏の人にとって「魂」とは、どういうものでしょうか?? 日本人と違って、魂を持つものは限られています。「選ばれた」と言ってもいいでしょう。
キリスト教では
「魂」「霊」「心」とは神が創造したものの中で
特別に「人間」にだけ与えられたものです。
「魂」とは特権です。
では「人間」の何が特別なのか??
何を持って「魂」「霊」「心」がある、とするのか??
それは知性です。
「賢い」ことが「魂」「霊」「心」の存在証明であり、
人間が特別な神の子であることの証明です。
理性的であり、知性的であり、合理的に行動することが
魂の存在証明であり
人間の存在意義や価値を持っていると考えています。
だから「賢い動物」は特別なものです。
クジラは賢い。
賢いということは魂がある。
つまり、霊体を持ち、人間と同じように心がある。
だからクジラには同情する。
可哀想だと思える。
極端な言い方だとキリスト教圏の人にとって
クジラは同朋ってことです。
友達とか家族という感覚すらある。
ではキリスト教圏の人にとって「魂」とは、どういうものでしょうか?? 日本人と違って、魂を持つものは限られています。「選ばれた」と言ってもいいでしょう。
日本人が木や岩にまで「魂・霊」を感じていると言うと、彼らは「どうして、あんなものに魂があると思うのか分からない」と首を傾げたり、人によっては嘲笑するでしょう。
キリスト教では
「魂」「霊」「心」とは神が創造したものの中で
特別に「人間」にだけ与えられたものです。
「魂」とは特権です。
では「人間」の何が特別なのか??
何を持って「魂」「霊」「心」がある、とするのか??
それは知性です。
「賢い」ことが「魂」「霊」「心」の存在証明であり、
人間が特別な神の子であることの証明です。
理性的であり、知性的であり、合理的に行動することが
魂の存在証明であり
人間の存在意義や価値を持っていると考えています。
●日本人は魂の条件は知性ではありません。「物体」であれば、魂を持っていると考えています。
だから「賢い動物」は特別なものです。
クジラは賢い。
賢いということは魂がある。
つまり、霊体を持ち、人間と同じように心がある。
だからクジラには同情する。
可哀想だと思える。
極端な言い方だとキリスト教圏の人にとって
クジラは同朋ってことです。
友達とか家族という感覚すらある。
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牛や豚を殺しても可哀想じゃない理由
だから馬鹿は殺されても構わない
反対に、知性の無い牛や豚や他の動物は、殺されても構わない。
どれだけ殺して食べても「可哀想」とは思わない。
なぜなら、「バカだから」。
バカは何をされても仕方が無い。
殺されても当然。
だって、バカだから。
というわけで
捕鯨に反対する訳です。
捕鯨問題は実質「宗教弾圧」と言ってもいいでしょう。
日本の捕鯨には文化だけでなく宗教観という側面があります。
反対に、知性の無い牛や豚や他の動物は、殺されても構わない。
どれだけ殺して食べても「可哀想」とは思わない。
なぜなら、「バカだから」。
バカは何をされても仕方が無い。
殺されても当然。
だって、バカだから。
これは結局、キリスト教の「人種差別」「宗教差別」の根っこに成っているのですが、まぁ、ここでは割愛しましょう。
というわけで
捕鯨に反対する訳です。
捕鯨問題は実質「宗教弾圧」と言ってもいいでしょう。
日本の捕鯨には文化だけでなく宗教観という側面があります。
●キリスト教には他宗教を邪教と断ずる性質がありますから、捕鯨禁止にはそういった意味もあるのではないか?と思います。
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