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敏達天皇(八)皇后と妃と子息子女
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四年春正月丙辰朔甲子、立息長眞手王女廣姫、爲皇后。是生一男二女、其一曰押坂彦人大兄皇子更名、麻呂古皇子、其二曰逆登皇女、其三曰菟道磯津貝皇女。
是月、立一夫人、春日臣仲君女曰老女子夫人更名藥君娘、生三男一女、其一曰難波皇子、其二曰春日皇子、其三曰桑田皇女、其四曰大派皇子。
次采女伊勢大鹿首小熊女曰菟名子夫人、生太姫皇女更名、櫻井皇女與糠手姫皇女更名、田村皇女。
是月、立一夫人、春日臣仲君女曰老女子夫人更名藥君娘、生三男一女、其一曰難波皇子、其二曰春日皇子、其三曰桑田皇女、其四曰大派皇子。
次采女伊勢大鹿首小熊女曰菟名子夫人、生太姫皇女更名、櫻井皇女與糠手姫皇女更名、田村皇女。
現代語訳
即位4年春1月9日。敏達天皇は息長真手王(オキナガノマテノオオキミ)の娘の広姫(ヒロヒメ)を皇后としました。1人の男(ヒコミコ)、2人の女(ヒメミコ)を生みました。その一人が押坂彦人大兄皇子(オシサカヒコヒトノオオエノミコ=舒明天皇の父で皇極天皇の祖父)といいます。
二人目を逆登皇女(サカノボリノヒメミコ)といいます。三人目を菟道磯津貝皇女(ウジノシツカイノヒメミコ)といいます。
この月(1月)に一人の夫人を立てました。春日臣仲君(カスガノオミナカツキミ)の娘の老女子夫人(オミナゴノオオトジ)といいます。
3人の男(ヒコミコ)と1人の女(ヒメミコ)を生みました。一人目が難波皇子(ナニワノミコ)です。二人目を春日皇子(カスガノミコ)といいます。三人目を桑田皇女(クワタノヒメミコ)といいます。四人目を大派皇子(オオマタノミコ)といいます。
次に采女(ウネメ)の伊勢大鹿首小熊(イセノオオカノオビトオグマ)の娘の菟名子夫人(ウナコノオオトジ)といいます。太姫皇女(フトヒメノヒメミコ)…
糠手姫皇女(アラテヒメノミコ)
を生みました。
別名を麻呂古皇子(マロコノミコ)といいます。
二人目を逆登皇女(サカノボリノヒメミコ)といいます。三人目を菟道磯津貝皇女(ウジノシツカイノヒメミコ)といいます。
この月(1月)に一人の夫人を立てました。春日臣仲君(カスガノオミナカツキミ)の娘の老女子夫人(オミナゴノオオトジ)といいます。
別名を薬君娘(クスリコノイラツメ)です
3人の男(ヒコミコ)と1人の女(ヒメミコ)を生みました。一人目が難波皇子(ナニワノミコ)です。二人目を春日皇子(カスガノミコ)といいます。三人目を桑田皇女(クワタノヒメミコ)といいます。四人目を大派皇子(オオマタノミコ)といいます。
次に采女(ウネメ)の伊勢大鹿首小熊(イセノオオカノオビトオグマ)の娘の菟名子夫人(ウナコノオオトジ)といいます。太姫皇女(フトヒメノヒメミコ)…
別名を桜井皇女(サクライノヒメミコ)といいます。
糠手姫皇女(アラテヒメノミコ)
別名を田村皇女(タムラノヒメミコ)といいます。
を生みました。
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解説
息長真手王は継体天皇の妃の父としてすでに名前が出てきています。しかし継体天皇(生年450ー531)と敏達天皇(生年538ー585)でちょっと年代が離れているのですよね。ただ、「ありえない」というほどの離れ方でもない。息長真手王が10代で作った娘を継体天皇に嫁がせて、70代に子供を作って、敏達天皇に嫁がせるということも不可能じゃない。
だから、何かの混乱か、意図的な操作があったか、それとも史実かというのはなんとも言えない。
だから、何かの混乱か、意図的な操作があったか、それとも史実かというのはなんとも言えない。
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