殯宮での確執・猟で使う矢に当たった雀鳥のようだ

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敏達天皇(三十二)殯宮での確執・猟で使う矢に当たった雀鳥のようだ

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原文

秋八月乙酉朔己亥、天皇病彌留、崩于大殿。是時、起殯宮於廣瀬。馬子宿禰大臣、佩刀而誄。物部弓削守屋大連、听然而咲曰、如中獵箭之雀鳥焉。次弓削守屋大連、手脚搖震而誄。(搖震、戰慄也)。馬子宿禰大臣咲曰、可懸鈴矣。由是、二臣微生怨恨。三輪君逆、使隼人相距於殯庭。穴穗部皇子欲取天下、發憤稱曰「何故事死王之庭、弗事生王之所也。」

現代語訳

(即位14年)秋8月15日。天皇は病気が重くなって大殿(オオトノ=寝殿)で崩御しました。この時、殯宮(モガリノミヤ=遺体を借りに安置する宮)を広瀬(ヒロセ=大和国広瀬郡=現在の奈良県北葛城郡広陵町)に立てました。馬子宿禰大臣(ウマコノスクネノオオオミ)は刀を身につけて、誄(シノビコト=死者を偲んで言葉を捧げる儀式)を奉りました。物部弓削守屋大連は嘲笑って言いました。
「猟で使う矢に当たった雀鳥(スズミ=スズメ)のようだ!」
次に弓削守屋大連(ユゲノモリヤオオムラジ)は手足が搖震(わななき震えて)、誄(シノビコト)を奉りました。
搖震は戰慄(ワナナキ)です。

馬子宿禰大臣は笑って言いました。
「鈴が要らないんじゃないか?!」
それで二人の臣は次第に怨恨(ウラミ)を生じました。三輪君逆(ミワノキミサカフ)は隼人を使い、殯庭(モガリノニワ)に守らせました。穴穂部皇子(アナホベノミコ=欽明天皇の皇子)は天下を取ろうとしました。発憤して称(コトアゲ)して言いました。
「なぜか、死んだ王の庭(ミヤ)に仕えていて、生きている王の所に仕えないのか!」
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解説

蘇我馬子が仏像を祀ったことで、疫病が流行しました。それがどうやら、かつて父の蘇我稲目が祀った仏像を捨てたことが原因らしい。その病気に天皇も感染。民をどんどん死んでいく。

そしてついに敏達天皇が死去。そのモガリで、死者へ言葉を捧げる儀式「シノビコト」をしたときに、蘇我馬子と物部守屋が揉めた。まぁ、険悪になった経緯が、やけに子供っぽいけど、大体、そういうもんでしょうね。
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