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敏達天皇(二十九)海石榴市で尼たちを鞭打ちに
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是日、無雲風雨。大連、被雨衣、訶責馬子宿禰與從行法侶、令生毀辱之心。乃遣佐伯造御室(更名、於閭礙)、喚馬子宿禰所供善信等尼。由是、馬子宿禰、不敢違命、惻愴啼泣、喚出尼等、付於御室。有司、便奪尼等三衣、禁錮、楚撻海石榴市亭。
現代語訳
(即位14年3月30日)この日、雲が無いのに、風が吹き、雨が降りました。大連(オオムラジ=物部守屋)は雨衣(アマヨソオイ)を被りました。馬子宿禰と、それに従って儀式を行う法侶(ミノリノヒトドモ)を責めて、心を傷つけ、辱めました。佐伯造御室(サエキノミヤツコミムロ)を派遣して
馬子宿禰が供える善信たち尼を呼び寄せました。それで馬子は命令に違反しないで、痛み、嘆き悲しみ、泣きつつ、尼たちを呼び出して、御室(ミムロ)に授けました。有司(ツカサ=役人)はたちまち尼たちの三衣(サムエ)を奪って、禁錮(カラメトラエテ)して、海石榴市(ツバキチ=市場の名前)の亭(ウマヤタチ=馬屋館の宿駅)で楚撻(シリカタウチ=尻や肩を鞭打った)しました。
別名を、於閭礙(オロゲ)といいます。
馬子宿禰が供える善信たち尼を呼び寄せました。それで馬子は命令に違反しないで、痛み、嘆き悲しみ、泣きつつ、尼たちを呼び出して、御室(ミムロ)に授けました。有司(ツカサ=役人)はたちまち尼たちの三衣(サムエ)を奪って、禁錮(カラメトラエテ)して、海石榴市(ツバキチ=市場の名前)の亭(ウマヤタチ=馬屋館の宿駅)で楚撻(シリカタウチ=尻や肩を鞭打った)しました。
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解説
敏達天皇(二十八)物部守屋は塔を壊し仏像を焼く
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