スポンサードリンク
敏達天皇(二十七)蘇我馬子の病気と占い・仏の祟り
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
十四年春二月戊子朔壬寅、蘇我大臣馬子宿禰、起塔於大野丘北、大會設齋。卽以達等前所獲舍利、藏塔柱頭。辛亥、蘇我大臣患疾。問於卜者、卜者對言「祟於父時所祭佛神之心也。」大臣卽遣子弟、奏其占狀。詔曰「宜依卜者之言、祭祠父神。」大臣奉詔、禮拜石像、乞延壽命。是時、国行疫疾、民死者衆。
現代語訳
即位14年春2月15日。蘇我大臣馬子宿禰(ソガノオオオミウマコノスクネ)は塔を大野丘(オオノノオカ=現在の奈良県橿原市和田町?)の北に立てて、大会(ダイエ)を設斎(オガミ=御膳を出す)しました。達等(ダチト=人名)が前に得た舎利(シャリ=仏陀の骨)を塔の柱頭(ハシラカミ=柱のてっぺん)に収めました。
24日に蘇我大臣は病気になりました。卜者(ウラベ=占い師)に問いました。卜者は答えて言いました。
「父のときに祀った仏神(ホトケ)の心は祟った」
大臣は子弟(ヤカラ=一族)を派遣して、その占いの結果を天皇に申し上げました。詔(ミコトノリ)して言いました。
「卜者の言葉に従って、父の神(=稲目が祀った仏)を祭れ」
大臣は詔を受け賜って、石像を礼を持って拝み、寿命を延ばしてくださいと乞い願いました。この時、国に疫病が流行って、民に死んだ者が多くいました。
24日に蘇我大臣は病気になりました。卜者(ウラベ=占い師)に問いました。卜者は答えて言いました。
「父のときに祀った仏神(ホトケ)の心は祟った」
大臣は子弟(ヤカラ=一族)を派遣して、その占いの結果を天皇に申し上げました。詔(ミコトノリ)して言いました。
「卜者の言葉に従って、父の神(=稲目が祀った仏)を祭れ」
大臣は詔を受け賜って、石像を礼を持って拝み、寿命を延ばしてくださいと乞い願いました。この時、国に疫病が流行って、民に死んだ者が多くいました。
スポンサードリンク
解説
仏は疫病を呼ぶ
蘇我馬子の父の蘇我稲目のときのこと。欽明天皇から仏像を授かって、試しに寺を作って拝んだところ、疫病が蔓延し、民がバンバン死んでしまい。結局、寺を焼いて、仏像を捨ててしまいました。
蘇我馬子の病気と民の疫病は、その仏像を捨てたことが原因であると、占い師が言ったわけです。
蘇我馬子の父の蘇我稲目のときのこと。欽明天皇から仏像を授かって、試しに寺を作って拝んだところ、疫病が蔓延し、民がバンバン死んでしまい。結局、寺を焼いて、仏像を捨ててしまいました。
蘇我馬子の病気と民の疫病は、その仏像を捨てたことが原因であると、占い師が言ったわけです。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
敏達天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page23 敏達天皇(二十三)葦北の眷属は德爾たちを殺して弥売嶋に投げ捨てる
- Page24 敏達天皇(二十四)鹿深臣の弥勒の石像と佐伯連の仏像
- Page25 敏達天皇(二十五)恵便と善信尼・その弟子の禅蔵尼と恵善尼
- Page26 敏達天皇(二十六)司馬達等が得た仏舎利
- Page27 敏達天皇(二十七)蘇我馬子の病気と占い・仏の祟り
- Page28 敏達天皇(二十八)物部守屋は塔を壊し仏像を焼く
- Page29 敏達天皇(二十九)海石榴市で尼たちを鞭打ちに
- Page30 敏達天皇(三十)仏像の祟り・瘡
- Page31 敏達天皇(三十一)三宝の力が無くては救い治めることは難しい
スポンサードリンク