蘇我馬子の病気と占い・仏の祟り

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敏達天皇(二十七)蘇我馬子の病気と占い・仏の祟り

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原文

十四年春二月戊子朔壬寅、蘇我大臣馬子宿禰、起塔於大野丘北、大會設齋。卽以達等前所獲舍利、藏塔柱頭。辛亥、蘇我大臣患疾。問於卜者、卜者對言「祟於父時所祭佛神之心也。」大臣卽遣子弟、奏其占狀。詔曰「宜依卜者之言、祭祠父神。」大臣奉詔、禮拜石像、乞延壽命。是時、国行疫疾、民死者衆。

現代語訳

即位14年春2月15日。蘇我大臣馬子宿禰(ソガノオオオミウマコノスクネ)は塔を大野丘(オオノノオカ=現在の奈良県橿原市和田町?)の北に立てて、大会(ダイエ)を設斎(オガミ=御膳を出す)しました。達等(ダチト=人名)が前に得た舎利(シャリ=仏陀の骨)を塔の柱頭(ハシラカミ=柱のてっぺん)に収めました。
24日に蘇我大臣は病気になりました。卜者(ウラベ=占い師)に問いました。卜者は答えて言いました。
「父のときに祀った仏神(ホトケ)の心は祟った」
大臣は子弟(ヤカラ=一族)を派遣して、その占いの結果を天皇に申し上げました。詔(ミコトノリ)して言いました。
「卜者の言葉に従って、父の神(=稲目が祀った仏)を祭れ」
大臣は詔を受け賜って、石像を礼を持って拝み、寿命を延ばしてくださいと乞い願いました。この時、国に疫病が流行って、民に死んだ者が多くいました。
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解説

仏は疫病を呼ぶ
蘇我馬子の父の蘇我稲目のときのこと。欽明天皇から仏像を授かって、試しに寺を作って拝んだところ、疫病が蔓延し、民がバンバン死んでしまい。結局、寺を焼いて、仏像を捨ててしまいました。

蘇我馬子の病気と民の疫病は、その仏像を捨てたことが原因であると、占い師が言ったわけです。
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