疫病の発生・難波の堀江に仏像を捨て、寺を焼く

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欽明天皇(五十三)疫病の発生・難波の堀江に仏像を捨て、寺を焼く

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原文

大臣跪受而忻悅。安置小墾田家、懃修出世業爲因。淨捨向原家、爲寺。於後、国行疫氣、民致夭殘、久而愈多、不能治療。物部大連尾輿・中臣連鎌子同奏曰「昔日不須臣計、致斯病死。今不遠而復、必當有慶。宜早投棄、懃求後福。」天皇曰「依奏。」有司乃以佛像、流棄難波堀江。復縱火於伽藍、燒燼更無餘。於是、天無風雲、忽炎大殿。

現代語訳

大臣は跪いて受け取って、喜びました。小墾田(オハリダ)の家に仏像や経典などを安置しました。丁寧に出世の業(=出家と同義のはずだが稲目は出家はしていないので未詳)を納めて因(ヨスガ=縁)としました。向原(ムクハラ)の家を清め祓い、寺としました。後に国に疫病が起きて、民がたくさん死んでしまいました。時間が経ってもどんどんと増えました。これを治療できませんでした。物部大連尾輿(モノノベノオオムラジオコシ)・中臣連鎌子(ナカトミノムラジカマコ)は同じく申し上げました。
「昔のあの日(=蘇我稲目に仏像などを渡した日のこと)、わたしめの提案を用いなかったから、このような病気による死が蔓延しているのです。まだ、遅くありません。元どおりにすれば、必ず良いことがあるでしょう。早く仏像や経典などは投げ捨てて、後の幸福を求めましょう」
天皇は言いました。
「申すままに」
有司(ツカサ=役人)はすぐに仏像を難波の堀江に流して捨てました。また、伽藍(テラ)に火をつけました。焼きつくして何も残りませんでした。天に風雲が無いのに、宮(欽明天皇の宮の金刺宮のこと)に火災がありました。
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解説

稲目の野望は燃えて消える
仏教を取り入れることで、穢れの概念の無い軍隊を手にいれることができそうでしたが、その後に疫病が蔓延し、その疫病の原因が「古来の神をないがしろにしたから」と提案されて、天皇はあっさりと仏像を捨て、寺を焼いちゃったわけです。

おまえに金刺宮までなぜか燃えちゃう。神様ってば怖い。
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