百済は漢城と平壌を捨て、新羅が漢城に入る

MENU
TOP>欽明天皇(日本書紀)>欽明天皇(五十四)百済は漢城と平壌を捨て、新羅が漢城に入る
スポンサードリンク

欽明天皇(五十四)百済は漢城と平壌を捨て、新羅が漢城に入る

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

是歲、百濟、棄漢城與平壤。新羅、因此入居漢城。今新羅之牛頭方・尼彌方也。地名、未詳。

現代語訳

(即位13年)この年、百済は漢城と平壌を捨てました。新羅はそれで漢城に入りました。今の新羅の牛頭方(ゴヅホウ=江原道春川?黄海道金川郡?)・尼弥方(ニミホウ=地名だが未詳)です。
この土地の名は未詳です。

解説

三国史記の新羅本記によると、真興王34年7月に「百済の東北部を取り、新州をおいた」とあります。ちゃんとリンクしているわけです。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集