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欽明天皇(五十二)蘇我稲目は仏を手にいれる・物部尾輿と中臣連鎌子は反対する
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是日、天皇聞已、歡喜踊躍、詔使者云「朕從昔來、未曾得聞如是微妙之法。然朕不自決。」乃歷問群臣曰「西蕃獻佛、相貌端嚴。全未曾有、可禮以不。」蘇我大臣稻目宿禰奏曰「西蕃諸国一皆禮之、豊秋日本豈獨背也。」物部大連尾輿・中臣連鎌子同奏曰「我国家之王天下者、恆以天地社稷百八十神、春夏秋冬祭拜爲事。方今改拜蕃神、恐致国神之怒。」天皇曰「宜付情願人稻目宿禰試令禮拜。」
現代語訳
(即位13年冬10月)この日、天皇は聞き終わると、歓喜して踊り飛び上がり、使者に詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)は昔からこの方、いまだかつてこのように、細かく詳しい法を聞いたことが無い。しかし、朕は自らでは決められ無い」
それで群臣(マヘツキミタチ)のみんなに問いました。
「西蕃(ニシノトナリノクニ=朝鮮半島の国のこと)が献上した仏の顔は端厳(キラギラ)しいものだった。いまだかってこのようなものは無かった。礼を持って接するべきか否か!」
蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)は言いました。
「西蕃(ニシノトナリノクニ)の諸国は皆、もっぱら仏を敬っています。豊秋日本(トヨアキヅヤマト)だけが、どうして独りで背くことができましょうか」
物部大連尾輿(モノノベノオオムラジオコシ)・中臣連鎌子(ナカトミノムラジカマコ)は同じく言いました。
「我が国家、天下に王としているのは、常に天地社稷(アマツヤシロクニツヤシロ)の百八十神(モモアマリヤソカミ)であり、春夏秋冬に祭り拝むことを事業としています。今、これを改めて、蕃神(アタシクニノカミ=異国の神)を拝めが、恐ろしいことに、国神(クニツカミ=国津神)の怒りがあるでしょう」
天皇は言いました。
「願う人である、稲目宿禰に仏を授けて、試しに敬い拝むことにしよう」
「朕(ワレ)は昔からこの方、いまだかつてこのように、細かく詳しい法を聞いたことが無い。しかし、朕は自らでは決められ無い」
それで群臣(マヘツキミタチ)のみんなに問いました。
「西蕃(ニシノトナリノクニ=朝鮮半島の国のこと)が献上した仏の顔は端厳(キラギラ)しいものだった。いまだかってこのようなものは無かった。礼を持って接するべきか否か!」
蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)は言いました。
「西蕃(ニシノトナリノクニ)の諸国は皆、もっぱら仏を敬っています。豊秋日本(トヨアキヅヤマト)だけが、どうして独りで背くことができましょうか」
物部大連尾輿(モノノベノオオムラジオコシ)・中臣連鎌子(ナカトミノムラジカマコ)は同じく言いました。
「我が国家、天下に王としているのは、常に天地社稷(アマツヤシロクニツヤシロ)の百八十神(モモアマリヤソカミ)であり、春夏秋冬に祭り拝むことを事業としています。今、これを改めて、蕃神(アタシクニノカミ=異国の神)を拝めが、恐ろしいことに、国神(クニツカミ=国津神)の怒りがあるでしょう」
天皇は言いました。
「願う人である、稲目宿禰に仏を授けて、試しに敬い拝むことにしよう」
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解説
蘇我稲目の考え
日本は穢れを嫌う民族です。穢れには「死」の穢れがあり、死に関わることを日本人は嫌います。よって軍隊・兵隊・戦争を日本人は嫌いました。しかし、これらの軍は社会の安定には是って意に必要なものです。
今までは蝦夷などの異民族にその役割をやらせていましたが、蝦夷たちも日本に馴染んで、軍に関わることを嫌がり始めたんじゃ無いかと思うのです。だから、「穢れ」という概念の無い仏教は魅力的だった。
穢れという概念の無い仏教を、信仰するということは、いくらでも軍を備えることができます。仏教を手に入れた蘇我稲目は、いわば大量殺傷兵器を手に入れたに等しい…のではないか?とわたしは思っています。
日本は穢れを嫌う民族です。穢れには「死」の穢れがあり、死に関わることを日本人は嫌います。よって軍隊・兵隊・戦争を日本人は嫌いました。しかし、これらの軍は社会の安定には是って意に必要なものです。
今までは蝦夷などの異民族にその役割をやらせていましたが、蝦夷たちも日本に馴染んで、軍に関わることを嫌がり始めたんじゃ無いかと思うのです。だから、「穢れ」という概念の無い仏教は魅力的だった。
穢れという概念の無い仏教を、信仰するということは、いくらでも軍を備えることができます。仏教を手に入れた蘇我稲目は、いわば大量殺傷兵器を手に入れたに等しい…のではないか?とわたしは思っています。
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- Page51 欽明天皇(五十一)釈迦仏の金銅像一軀・幡蓋若干・経論若干卷を献上
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