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敏達天皇(二十三)葦北の眷属は德爾たちを殺して弥売嶋に投げ捨てる
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由是、下獄、復命於朝庭。乃遣使於葦北、悉召日羅眷屬、賜德爾等任情決罪。是時、葦北君等、受而皆殺、投彌賣嶋。彌賣嶋、蓋姫嶋也。以日羅、移葬於葦北。於後、海畔者言「恩率之船、被風沒海。參官之船、漂泊津嶋、乃始得歸。」
現代語訳
それで(德爾たちを)獄(ヒトヤ=牢獄)に下して、朝庭(ミカド)に報告をしました。すぐに使者を葦北(アシキタ=現在の熊本県葦北郡)に派遣して、すべての日羅の眷属(ヤカラ=一族)を呼び寄せて、德爾たちを与えて、心のままに罪を決めさせました。この時、葦北君(アシキタノキミ)たちは、受け取り、皆、殺して、弥売嶋(ミメシマ)に投げ捨てました。
日羅を葦北に移して葬りました。その後に海の畔(ヘタ)の人が言いました。
「恩率(オンソチ)の船は風に会って海に没しました。参官(サンカン)の船は津嶋(ツシマ=対馬)を漂泊して、ようやっと帰ることが出来ました」
弥売嶋はおそらく姫嶋(ヒメシマ=淀川河口の嶋=現在の大阪市西淀川区姫島町)です。
日羅を葦北に移して葬りました。その後に海の畔(ヘタ)の人が言いました。
「恩率(オンソチ)の船は風に会って海に没しました。参官(サンカン)の船は津嶋(ツシマ=対馬)を漂泊して、ようやっと帰ることが出来ました」
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解説
日羅は葦北の一族
日羅は百済に仕えていたのですが、一族は肥国葦北に居たということになります。つまりバリバリの日本人です。ということは、日羅の父親の「火葦北国造阿利斯登」も当然ながら日本人となります。ということは「アリシト」という名前は「日本人」の名前ということになります。
日羅は百済に仕えていたのですが、一族は肥国葦北に居たということになります。つまりバリバリの日本人です。ということは、日羅の父親の「火葦北国造阿利斯登」も当然ながら日本人となります。ということは「アリシト」という名前は「日本人」の名前ということになります。
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