德爾と余奴たちによる日羅暗殺・身体の光

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敏達天皇(二十一)德爾と余奴たちによる日羅暗殺・身体の光

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原文

於是、恩率・參官臨罷国時(舊本、以恩率爲一人以參官爲一人也)竊語德爾等、言「計吾過筑紫許、汝等偸殺日羅者、吾具白王當賜高爵身及妻子垂榮於後。」德爾・余奴、皆聽許焉。參官等遂發途於血鹿。於是、日羅、自桑市村遷難波館。德爾等、晝夜相計將欲殺。時、日羅、身光有如火焰、由是德爾等恐而不殺。遂於十二月晦、候失光、殺。日羅、更蘇生曰「此是、我駈使奴等所爲、非新羅也。」言畢而死。屬是時、有新羅使。故、云爾也。

現代語訳

恩率(オンソチ)・参官(サンカン)は国に帰る頃になって…
古い本によると、恩率を一人、参官を一人だったという

密かに德爾(トクニ=人名)たちに語って言いました。
「わたしは計画を立て、筑紫と約束していた。お前たちは密かに日羅(ニチラ)を殺せば、わたしは、詳細に王に言って、高い爵位を与えよう。その身と妻子に栄(サカエ)は後々まで続くだろう」
德爾(トクニ)・余奴(ヨヌ=人名)は皆、聞き入れました。参官たちは、ついに血鹿(チカ=肥前国松浦郡値嘉?=長崎県五島列島小値嘉島?=とにかく地名)に出発しました。日羅は桑市村から難波の館(ムロツミ)に移りました。德爾(トクニ)たちは昼夜に話し合って計画して、殺そうとしました。そのとき、日羅は身体から光が炎のようでした。それで德爾(トクニ)たちは恐れて殺しませんでした。
12月の晦(ツゴモリ=末日=30日)に光を失うのを伺いみて殺しました。日羅は蘇生して言いました。
「こういうことになったのは(=わたしを殺したのは)…わたしの駈使奴(ツカイビトヤッコ=使者の部下)の仕業だ。新羅では無い」
そう言い終わって死にました。
この時に新羅の使者が居たので、こう言いました。
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解説

日羅暗殺計画
日本が欲する優秀な日羅。日羅は日本に歓待されて阿斗桑市に滞在していました。その館に訪ねて来た阿倍目臣・物部贄子連・大伴糠手子連に「政治とは何か」について講義をしました。日羅はかなり政治に…というべきか儒教に詳しかったのではないかと思います。

その日羅が「百済が筑紫に移住したいと言ってきたら、嘘ついて許してください。船がやってきたら、伏兵で彼らを殺してください」とアドバイスしました。

日羅は百済の…儒教(もしくは孫子の兵法)についてかなり理解していて、その文化の性質から裏をかく作戦を日本に授けた。これを百済は苦々しく思って、殺すことにした。

恩率(オンソチ)・参官(サンカン)は日本から百済へと帰るきに、まだ日本に残っている德爾(トクニ)たちに日羅を殺すように仕向けた。殺せば、王に報告し、出世を約束しよう、と。

問題はそこじゃない
問題は日羅の体が光が出ていたこと。それが12月30日…つまり大晦日にその光が消えたこと。そして殺されたこと。

これってばどう考えても「冬至」に「太陽が生まれ変わる」という神話ですよね。

日羅はのちに信仰の対象となる「偉人」です。聖徳太子伝暦や今昔物語では「僧」とされます。おそらく…日羅という名前も、本名ではなくて、ニックネームみたいなものじゃないかと思います。高僧であり、あんまりに立派な人間ということで、「太陽神」と習合したんじゃないかと思います。それで後世に「太陽神」としての神話が残った。それがこの物語となった。
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