妻子は石川百済村へ、水手は石川大伴村へ

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敏達天皇(二十二)妻子は石川百済村へ、水手は石川大伴村へ

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原文

天皇、詔贄子大連・糠手子連令收葬於小郡西畔丘前、以其妻子・水手等居于石川。於是、大伴糠手子連議曰「聚居一處、恐生其變。」乃以妻子居于石川百濟村、水手等居于石川大伴村。收縛德爾等、置於下百濟阿田村。遣數大夫推問其事、德爾等伏罪言「信是、恩率・參官教使爲也。僕等、爲人之下不敢違矣。」

現代語訳

天皇は贄子大連(ニエコノオオムラジ)・糠手子連(アラテコノムラジ)に詔(ミコトノリ)して、小郡(オゴオリ)の日の畔(ホトリ)の丘の前に(日羅の遺体を)収め葬りました。その妻子と水手(カコ=船の乗り手)を石川(イシカワ=河内国石川・錦部=現在の大阪府南河内郡南部・富田林市・河内長野市北の石川中流)に居住させました。大伴糠手子連(オオトモノアラテコノムラジ)は話し合って言いました。
「一箇所に集めて居住させていれば、おそらくは変(ハカリゴト=反逆)を起こすだろう」
それで妻子は石川百済村(イシカワノクダラノムラ)に居住させ、水手たちは石川大伴村(イシカワノオオトモノムラ)に居住させました。德爾(トクニ)たちは捕らえて縛って、下百済河田村(シモツクダラノカワタノムラ)に置きました。数大夫(マヘツキミタチ=臣下たち)を派遣して、そのこと(日羅殺害の件)を問い責めました。德爾(トクニ)は罪に伏して言いました。
「信(マコト=真実)です。これは恩率(オンソチ)・参官(サンカン)が教えたのです。わたしめらは、人の下であり、違反することはできません」
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解説

日羅は百済に使えた人物ですから、おそらくは日本人なんですが、その部下は「百済人」でしょう。彼らを一箇所に置いておくと反逆すると考えて、別々に住まわせました。

そして、今度は日羅を殺した德爾(トクニ)たちを捕らえて縛り、問い詰めました。すると
「上司に命令されたからやったんです。上司に命令されたら、しょうがないじゃん!」と言ったわけです。

儒教では上下関係は絶対です。上の命令は下は絶対に聞かないといけない。上下関係をしっかりとすることが、社会を安定させるというのが儒教の根本です。
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