三宝の力が無くては救い治めることは難しい

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敏達天皇(三十一)三宝の力が無くては救い治めることは難しい

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原文

夏六月、馬子宿禰奏曰「臣之疾病至今未愈、不蒙三寶之力難可救治。」於是、詔馬子宿禰曰「汝可獨行佛法、宜斷餘人。」乃以三尼還付馬子宿禰。馬子宿禰、受而歡悅嘆未曾有、頂禮三尼、新營精舍迎入供養。(或本云、物部弓削守屋大連・大三輪逆君・中臣磐余連、倶謀滅佛法、欲燒寺塔幷棄佛像。馬子宿禰、諍而不從。)

現代語訳

(即位14年)夏6月。馬子宿禰(ウマコノスクネ)は申し上げて言いました。
「わたしめの疾病は、今に至るまで癒えておりません。三宝(サンポウ=本来は仏・法・僧だが、ここでは三人の尼のこと)の力を借りなくては、救い治めることは難しいでしょう」
そこで馬子宿禰に詔(ミコトノリ)して言いました。
「お前、一人、仏法を行うべきだ。余人(アタシヒト=他の人)は止めろ」
すぐに三人の尼を馬子宿禰に返しました。馬子宿禰はそれを受けて歓喜して悦びました。未曾有(メズラシキヒト)と嘆いて、三人の尼を拝みました。新たに精舎(ミテラ=御寺)を作り、迎え入れて供養(イタワリヤシナウ)しました。
ある本によると、物部弓削守屋大連(モノノベノユゲノモリヤオオムラジ)・大三輪逆君(オオミワノサカフノキミ)・中臣磐余連(ナカトミノイワレノムラジ)は共に、仏法を滅ぼそうと謀り、寺・塔を焼いて、合わせて仏像を捨てようとしました。馬子宿禰はあらがって従わなかった、といいます。
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解説

仏教に対する抵抗
神道一本でやって来た日本に仏教が入ってきました。蘇我氏は積極的に取り入れましたけど、反対するものも沢山いました。敏達天皇は蘇我馬子に「お前一人で、仏教やれよ」と言ったのですが、ひっくり返すと、「蘇我氏だけに許可してやろう」と言ったのと同じです。

しかし、物部・大三輪・中臣が反対します。物部のモノは「もののけ」の「モノ」。モノってのは「霊」であり「神」という意味です。バリバリの神道の氏族。大三輪は「大神神社(オオミワジンジャ)」の氏族。中臣は「神と人の中を取り持つ」という意味の名前の氏族

つまり、この三氏はバリバリ神道の氏族。その神道が否定されれば、間違いなく失職、凋落です。これは必死に抵抗することになります。
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