大神神社

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大神神社

漢字・読みオオミワジンジャ
別名三輪明神
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概要

住所
奈良県桜井市三輪
祭神
オオモノヌシ大神(大物主大神)
三輪山そのものが神
オオモノヌシつまりオオムナチ、もしくはオオクニヌシ命、つまりは国津神の祖を祀る神社です。日本で最も古い神社とされます。本殿がなく、三輪山そのものが御神体で、拝殿しかありません。非常に古い神道――というか神道が成立する以前の信仰の匂いを残す神社です。
拝殿のある神社のより奥は三つ鳥居があり、その向こうは人が踏み入れることの許されない「禁断の地」――神の領域です。
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物語・由来

大物主…つまりオオクニヌシ命は日本を出雲を拠点として日本を作り上げました。しかし協力者であるスクナヒコナ命が去り(死んだとも常世の国に帰ったとも)、途方に暮れていると、空が輝き、
「わたしは、お前の幸魂・奇魂だ。
ヤマトの三輪山に祀れ!」と言ったので三輪山に作った社(ヤシロ)が大神神社(オオミワジンジャ)です。

参考:海の向こうから光の神が 魂を大和の東の山に祀れ

神道には「一霊四魂」といって幸魂・奇魂・和魂・荒魂の四つ面が神にはあるとされ、それぞれ別個に祀られることがあります。といっても、「私はお前の幸魂・奇魂だ」と言うのは幾らなんでも突飛過ぎます。おそらく古代から三輪山を信仰する山岳信仰があり、そこに日本神話を乗っけたのでしょう。それだけこの辺りは強い勢力があったのではないでしょうか。
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性格・能力

諸願成就
縁結び

歴史背景

倭大物主櫛甕玉命
オオモノヌシの昔の名前は倭大物主櫛甕玉命とされます。つまり「大和のオオモノヌシ」という意味合いです。わざわざ「大和」とつけるのは何故でしょうか?? もしかすると、もともとはヤマトではない地域から来た――まぁ当然出雲から、ということになります。

ヤマトの始まり
ヤマト、という言葉は元々この三輪山の麓の一部の地域を指す言葉でした。それが日本全体を表す様になった――とも言われています。

ここに邪馬台国があったという説は非常に有名で、日本初の前方後円墳である箸墓古墳には卑弥呼が眠っているという主張もあります。少なくともこの地域の人たちはそう信じているようです。この辺りには箸墓古墳や縄文・弥生に掛けての巨大な宗教都市である纒向遺跡があり、この地域が(邪馬台国が九州であれ畿内であれ)邪馬台国の後に日本の中心的な存在になったことは確かです。
オオモノヌシとは?
オオモノヌシはオオクニヌシ命やオオムナチとも言われ、日本神話の中では別名であり、同一の神とされていますが、実際には別々の神だったと考えられています。このあたりが日本神話のややこしいところでもあります。記述を見ると「同じ神」としているのに、各神社で祀っている神の名前を見ると、オオモノヌシとオオクニニス・オオムラチと別々に書かれていて、●●と同じです、とは書いてありません。実際、オオモノヌシとオオクニヌシとオオムラチでは少しづつ持っている性格やイメージが違っています。
日本はオオモノヌシが作った
日本そのものはイザナギイザナミが作ったのですが、この日本を人が住めるような土地にしたのは、スサノオの子供であるオオクニヌシ命、つまりはオオモノヌシです。天皇家の先祖であるニニギ命や神武天皇は、オオモノヌシが整えたこの日本という国を、天津神の血統をたてにして(ま、自分で言ってるだけなんですが)、乗っ取った――なんていう見方も出来ます。
スサノオという天津神高天原から追い出され、その子孫であるオオクニヌシ命(オオモノヌシ)は、何故か国津神の大元になっています。不思議です。どうもスサノオとオオクニヌシ命(オオモノヌシ)は大和朝廷とは敵対する別の神だったと考えた方が筋が通りそうです。
そのためかオオクニヌシ命(オオモノヌシ)は祟神延納の代になると疫病をもたらす神として登場します。また神武天皇の東征の際にも天皇の前に立ちはだかります。
日本神話のスーパーヒーローなのに天皇家とは距離があるのが不思議です。
大神神社は大和朝廷のおひざ元に
そんな大神神社が大和朝廷があったとされる場所にあるのは、尚のこと不思議です。それはオオモノヌシ(もしくはそれを氏神とする集団)が大和朝廷にとって、苦々しくも重要な地位にあったか、強い権力を持っていたためではないでしょうか??
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