風宮(豊受大神宮)

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風宮(豊受大神宮)

投稿日時:2019-11-15 14:04:13
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風宮

名前風宮(豊受大神宮=伊勢神宮外宮)境内別宮(ケイダイワケミヤ)
住所三重県伊勢市豊川町
祭神
級長津彦命(シナツヒコミコト)・級長戸辺命(シナトベノミコト

風宮は農耕に関わる風の神を祀った伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の別宮。別宮は豊受大神宮の本宮に対して、本宮に次ぐ社格を持った宮とされる(一般的には本宮と同じ神を祀った別の場所に建てられた神社という意味)。
元寇の時に神風で撃退したとされ、1293年に普通の末社だった風宮を別宮に格上げした。よって風宮は本来は農耕の神だけど現在は国防(護国)の性質がある。他の別宮(土宮・多賀宮・月夜見宮)はそれ以前から別宮だったので風宮は最後に別宮になった神社。別宮の中では第四位。
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解説

祭神について
祭神の「シナツヒコ・シナトベ」は風の神で、古事記でシナツヒコはシナトベの別名とされる(第五段一書(六)-1冥土めぐり)のですが、どうもシナツヒコ・シナトベというのは素直に考えて男女の夫婦の神で、シナトベは「女神」と考えるべき。
古事記や日本書紀では名前に「トベ」がつく人物で女性のケースが多々見られ、どうも「トベ」は○○彦(ヒコ=日子=この場合は男)・○○姫(ヒメ=日女)に近い女性の呼び名じゃないかと思います。
元寇
モンゴル軍というか高麗・モンゴル連合軍が日本に攻めてきました。どうにか鎌倉幕府はコレを撃退するのです。当時の戦争は「神・仏」が勝敗を握っているもので、神仏の籠を神に祈るのは当然でした。
1281年弘安の役の元寇のときに勅使(朝廷からの使者)として為氏大納言が外宮に派遣され、内宮の・・・つまり伊勢神宮の風神社・風社で祈祷をした。神風により日本は勝利し、元寇を撃退すると風神社は風日祈宮(内宮)となり、風社は風宮(現在の外宮)となった。
戦争に勝利すると神社やお寺は幕府や朝廷に「うちの神・仏が撃退したのだ!」と主張し、報酬を要求ました。そして報酬をしぶると「あのモンゴル軍を撃退した神だぞ!バチが当たるぞ!」と恫喝しました。言い方はキツイですが、まぁ、宗教というのはそういうもんです。そういう事情を考えると風宮が別宮に格上げになるのも、まぁ、分からんでもない。
●文久3年(1863年)5月に15日間もの間、攘夷祈願が風宮(外宮)風日祈宮(内宮)に捧げられました。攘夷とは外国勢力を打ち倒すこと。つまり、この二社は江戸時代の末期にも護国の神として信仰があったということ。しかも15日はかなり長い。
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