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敏達天皇(三十)仏像の祟り・瘡
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天皇、思建任那、差坂田耳子王、爲使。屬此之時、天皇與大連卒患於瘡、故不果遣、詔橘豊日皇子曰「不可違背考天皇勅、可勤修乎任那之政也。」又發瘡死者充盈於国、其患瘡者言「身、如被燒被打被摧」啼泣而死。老少竊相謂曰「是、燒佛像之罪矣。」
現代語訳
天皇は任那を再建しようと思って、坂田耳子王(サカタノミミコノオオキミ)を使者としました。このとき、急に天皇と大連は瘡(カサ=疱瘡=天然痘?)を病みました。それで結果、派遣しませんでした。橘豊日皇子(タチバナノトヨヒノミコ=後の用明天皇)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「孝天皇(カゾノキミ=父天皇=ここでは欽明天皇)の勅(ミコトノリ)に違反し、背くべきではない。任那の政治を勤め、修めるべきだ」
また、瘡(カサ)を発症して、死ぬ者が国に満ちました。この橘豊日皇子(カサ)を病むものは言いました。
「その身体が焼かれ、打たれ、砕かれるかのようだ!」
泣き喚いて死にました。老人も幼いものも、静かに語り合って言いました。
「これは仏像を焼いた罪ではないか」
「孝天皇(カゾノキミ=父天皇=ここでは欽明天皇)の勅(ミコトノリ)に違反し、背くべきではない。任那の政治を勤め、修めるべきだ」
また、瘡(カサ)を発症して、死ぬ者が国に満ちました。この橘豊日皇子(カサ)を病むものは言いました。
「その身体が焼かれ、打たれ、砕かれるかのようだ!」
泣き喚いて死にました。老人も幼いものも、静かに語り合って言いました。
「これは仏像を焼いた罪ではないか」
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解説
前の天皇の欽明天皇は任那の再建を願っていましたが、叶わず死んでしまいました。その遺志を継いだのが、敏達天皇。敏達天皇は仏教を積極的に取り入れたい。それには理由があった。
まず、穢れを嫌う日本人は、穢れを嫌うあまり「戦争」を嫌った。戦争になれば手を血で汚すことになる。だから戦争に積極的にならなかった。しかし、これでは任那再建は成し得ない。そこで「穢れの概念」のない仏教を取り入れたい。仏教を掲げれば、戦争ができる。
しかし天皇は古来の宗教の親玉です。この時代の天皇はあくまで「神」ではなく、神を奉じる側の人間です。何を祀って、何を祀らないかと天皇が決められる。だから仏教に変更することは理屈上は問題無い。しかし、日本は「和」の民族、昔からの神を捨てて、仏法を掲げることは、理屈上問題は無くても、反発が大きい。徐々に氏族を啓蒙していく必要がある。その先陣を切ったのが「蘇我氏」だった。このあたりは、蘇我氏が導いたのか、天皇が蘇我氏に「やらせた」のかは微妙。前の欽明天皇は仏教に懐疑的だった。蘇我氏が敏達天皇を啓蒙したと考えたほうが自然かと。
ところで日本が古来から信仰している神は「怖いから、奉る」ものです。祟るから、敬う。何をするか分からないから、機嫌を取る。その機嫌の取り方が、神楽・料理・舞・歌・物語・相撲・演奏なわけです。
ここまでは仏はおとなしいものでした。焼き捨てられても何も無かった。しかし、ここに来て、祟りです。日本人がもっとも恐る疫病。しかも、天然痘だとすると、日本人にとって未知の病気。これは恐ろしい。
ついに仏教は日本人に「祟りの恐怖」を植え付け、日本の宗教へと駆け上がることになります。
まず、穢れを嫌う日本人は、穢れを嫌うあまり「戦争」を嫌った。戦争になれば手を血で汚すことになる。だから戦争に積極的にならなかった。しかし、これでは任那再建は成し得ない。そこで「穢れの概念」のない仏教を取り入れたい。仏教を掲げれば、戦争ができる。
しかし天皇は古来の宗教の親玉です。この時代の天皇はあくまで「神」ではなく、神を奉じる側の人間です。何を祀って、何を祀らないかと天皇が決められる。だから仏教に変更することは理屈上は問題無い。しかし、日本は「和」の民族、昔からの神を捨てて、仏法を掲げることは、理屈上問題は無くても、反発が大きい。徐々に氏族を啓蒙していく必要がある。その先陣を切ったのが「蘇我氏」だった。このあたりは、蘇我氏が導いたのか、天皇が蘇我氏に「やらせた」のかは微妙。前の欽明天皇は仏教に懐疑的だった。蘇我氏が敏達天皇を啓蒙したと考えたほうが自然かと。
ところで日本が古来から信仰している神は「怖いから、奉る」ものです。祟るから、敬う。何をするか分からないから、機嫌を取る。その機嫌の取り方が、神楽・料理・舞・歌・物語・相撲・演奏なわけです。
ここまでは仏はおとなしいものでした。焼き捨てられても何も無かった。しかし、ここに来て、祟りです。日本人がもっとも恐る疫病。しかも、天然痘だとすると、日本人にとって未知の病気。これは恐ろしい。
ついに仏教は日本人に「祟りの恐怖」を植え付け、日本の宗教へと駆け上がることになります。
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