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用明天皇(一)出自
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現代語訳
橘豊日天皇(タチバナトヨヒノスメラミコト=用明天皇)は天国排開広庭天皇(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコト=欽明天皇)の第四子です。母は堅塩姫(キタシヒメ=蘇我稲目の娘)といいます。天皇は仏法を信じ、神道を尊びました。敏達天皇即位14年の秋8月に渟中倉太珠敷天皇(ヌナクラノフトタマシキノスメラミコト)は崩御しました。
解説
敏達天皇との比較
欽明天皇・敏達天皇の時代までは仏教は入って来てはいたものの、まだまだ抵抗が強く、布教とまではいきませんでした。蘇我氏だけの話でした。それが用明天皇の時代になると、状況が変わります。
まぁ、用明天皇の母親が蘇我稲目の娘ということは、蘇我馬子から見れば、用明天皇は甥っ子です。用明天皇を蘇我氏がある程度説得というか、コントロールするのは当然でしょう。
欽明天皇・敏達天皇の時代までは仏教は入って来てはいたものの、まだまだ抵抗が強く、布教とまではいきませんでした。蘇我氏だけの話でした。それが用明天皇の時代になると、状況が変わります。
まぁ、用明天皇の母親が蘇我稲目の娘ということは、蘇我馬子から見れば、用明天皇は甥っ子です。用明天皇を蘇我氏がある程度説得というか、コントロールするのは当然でしょう。
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用明天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 用明天皇(一)出自
- Page2 用明天皇(二)即位・酢香手姫皇女を伊勢神宮へ仕えさせる
- Page3 用明天皇(三)皇后と子息子女
- Page4 用明天皇(四)穴穂部皇子は殯宮で炊屋姫皇后を襲う
- Page5 用明天皇(五)三輪君逆の逃避行
- Page6 用明天皇(六)馬子は穴穂部皇子を諌める・王たる者は刑人に近づけません
- Page7 用明天皇(七)三宝を敬う・穴穂部皇子は豊国法師を率いて
- Page8 用明天皇(八)阿都へ退く守屋・槻曲に籠もる馬子
- Page9 用明天皇(九)南淵の坂田寺の木の丈六仏像と狭寺の菩薩・崩御
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