穴穂部皇子は殯宮で炊屋姫皇后を襲う

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用明天皇(四)穴穂部皇子は殯宮で炊屋姫皇后を襲う

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原文

夏五月、穴穗部皇子、欲姧炊屋姫皇后而自强入於殯宮。寵臣三輪君逆、乃喚兵衞、重璅宮門、拒而勿入。穴穗部皇子問曰、何人在此。兵衞答曰、三輪君逆在焉。七呼開門、遂不聽入、於是、穴穗部皇子謂大臣與大連曰「逆、頻無禮矣。於殯庭誄曰、不荒朝庭、淨如鏡面、臣治平奉仕。卽是無禮、方今天皇子弟多在、兩大臣侍、詎得恣情專言奉仕。又余觀殯內、拒不聽入、自呼開門七

現代語訳

(即位1年)夏5月。穴穂部皇子(アナホベノミコ)は炊屋姫皇后(カシキヤヒメノキサキ=推古天皇)を犯そうとして、自ら無理矢理に殯宮(モガリノミヤ)に入ろうとしました。寵臣(メグミタマウマヘツキミ=寵愛された臣下=ここでは敏達天皇に寵愛された)の三輪君逆(ミワノキミサカフ)はすぐに兵衛(ツワモノトネリ=衛兵)を呼び寄せて、宮門(ミカド)を硬めて守り、防いで穴穂部皇子を入れませんでした。穴穂部皇子は問い言いました。
「なぜ、人がここにいるのか?」
兵衛(ツワモノトネリ)は答えて言いました。
「三輪君逆が居るのです」
七回も「門を開け」と言いました。
しかし聞き入れませんでした。穴穂部皇子は大臣(=蘇我馬子)と大連(=物部守屋)に語って言いました。
「逆(サカフ)は、非常に礼が無い。殯庭(モガリノミヤ)で誄(シノビゴトタテマツル=故人に言葉を掛けること)して言った。
『朝廷(ミカド)を荒らさず、清めて鏡の面のようにして、わたしめは治め、平和にしようと、奉仕しよう』
しかし礼は無い。まさに今、天皇の子弟はたくさん居る。両の大臣(=大連と大臣のこと)は居る。誰が、心のほしいままに(自分勝手に)、奉仕しようと言えるだろうか。また、わたしは殯内(モガリノミヤノウチ)を見ようと思っても、防がれて、聞き入れて貰えず、入れなかった。自ら『門を開けろ』と言っても、七回も応答が無かった。願わくば、斬り殺そうと思う」
両(フタリ)の大臣は言いました。
「命(ミコト)のままに」
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解説

穴穂部皇子の意図
炊屋姫皇后こと、後の推古天皇は、欽明天皇の娘であり、敏達天皇の皇后です。細かいことを言うと敏達天皇は推古天皇から見ると異母兄にあたります。

推古天皇の生年が西暦で554年。この強姦未遂事件が586年。となるとこの事件のときに推古天皇の年齢は34歳。現在の日本なら、まぁ十分いける年齢ですが、飛鳥時代となると話は違います。穴穂部皇子は「性的」に興奮して襲ったんじゃ無いでしょう。

おそらく、天皇の権威は天皇ではなく皇后にあった。皇后が権力の根本だった。実権は天皇でも、です。つまり皇女を妻にしないといけない。穴穂部皇子が天皇になるためには、皇女を娶る必要があった。それがこの事件の根本でしょう。

この後、物部守屋がこの穴穂部皇子と組んで、三輪君逆を誅殺します。三輪君は敏達天皇に仕えた忠臣。その皇后である推古天皇を守るのは当然のことです。これが意味するのは、物部守屋が穴穂部皇子と組んで、天皇の位を狙ったということです。
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