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推古天皇(二)法興寺の柱の礎に仏舎利を
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元年春正月壬寅朔丙辰、以佛舍利置于法興寺刹柱礎中、丁巳建刹柱。
現代語訳
推古天皇即位1年の春1月15日。仏舎利(ホトケノシャリ=ブッダの遺骨のこと)を法興寺(ホウコウジ)の刹柱(セツノハシラ=寺の中心の柱=大黒柱)の基礎の中に置きました。
16日に刹柱を立てました。
16日に刹柱を立てました。
解説
推古天皇が即位したのが前年の12月8日。年が明けて1月15日に行ったのが法興寺の基礎に仏舎利を埋め込むという作業です。即位した最初にやったことが、コレってことは推古天皇は仏教を重んじますよ。という所信表明と考えていいでしょう。
推古天皇は欽明天皇の娘、亡くなった敏達天皇の皇后と、バリバリの皇族でありつつ、蘇我馬子の姪にあたります。蘇我馬子はバリバリの仏教推進派。
世間は「これから仏教の世界になるな」と感じたはずです。
推古天皇は欽明天皇の娘、亡くなった敏達天皇の皇后と、バリバリの皇族でありつつ、蘇我馬子の姪にあたります。蘇我馬子はバリバリの仏教推進派。
世間は「これから仏教の世界になるな」と感じたはずです。
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- Page1 推古天皇(一)出自と即位の経緯
- Page2 推古天皇(二)法興寺の柱の礎に仏舎利を
- Page3 推古天皇(三)厩戸豊聡耳皇子の出自
- Page4 推古天皇(四)四天王寺の建立と氏族の寺
- Page5 推古天皇(五)沈香が淡路島に漂着・香木の最古の記述
- Page6 推古天皇(六)慧慈と慧聡が日本に・将軍たちが筑紫から帰る
- Page7 推古天皇(七)善徳臣を寺司に・鵲と孔雀と白鹿の献上
- Page8 推古天皇(八)地震・百済からラクダとロバと白いキジが献上される
- Page9 推古天皇(九)境部臣と穂積臣による新羅討伐
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