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推古天皇(六)慧慈と慧聡が日本に・将軍たちが筑紫から帰る
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五月戊午朔丁卯、高麗僧慧慈歸化、則皇太子師之。是歲、百濟僧慧聰來之。此兩僧、弘演佛教並爲三寶之棟梁。秋七月、將軍等至自筑紫。
四年冬十一月、法興寺造竟、則以大臣男善德臣拜寺司。是日、慧慈・慧聰二僧始住於法興寺。
四年冬十一月、法興寺造竟、則以大臣男善德臣拜寺司。是日、慧慈・慧聰二僧始住於法興寺。
現代語訳
(即位3年)5月10日。高麗の僧の慧慈(エジ)が帰化しました。すると皇太子は慧慈を師匠としました。
この年、百済の僧の慧聡(エソウ)が来ました。この二人の僧は仏教を広めて、三宝(サンポウ=仏・法・僧の事)の棟梁(ムネウツハリ=骨組み)となりました。
秋7月に将軍たちが筑紫から到着しました。
この年、百済の僧の慧聡(エソウ)が来ました。この二人の僧は仏教を広めて、三宝(サンポウ=仏・法・僧の事)の棟梁(ムネウツハリ=骨組み)となりました。
秋7月に将軍たちが筑紫から到着しました。
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解説
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推古天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page2 推古天皇(二)法興寺の柱の礎に仏舎利を
- Page3 推古天皇(三)厩戸豊聡耳皇子の出自
- Page4 推古天皇(四)四天王寺の建立と氏族の寺
- Page5 推古天皇(五)沈香が淡路島に漂着・香木の最古の記述
- Page6 推古天皇(六)慧慈と慧聡が日本に・将軍たちが筑紫から帰る
- Page7 推古天皇(七)善徳臣を寺司に・鵲と孔雀と白鹿の献上
- Page8 推古天皇(八)地震・百済からラクダとロバと白いキジが献上される
- Page9 推古天皇(九)境部臣と穂積臣による新羅討伐
- Page10 推古天皇(十)船の舵を乾かさないよう、毎年必ず朝廷に参上します
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