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推古天皇(八)地震・百済からラクダとロバと白いキジが献上される
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七年夏四月乙未朔辛酉、地動、舍屋悉破。則令四方俾祭地震神。秋九月癸亥朔、百濟貢駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一隻。
現代語訳
即位7年夏4月27日。大地が動いて(地震があって)、舎屋がことごとく壊れました。四方(ヨモ=国中)に令(ノリゴト)して、地震の神を祭らせました。
秋9月1日。百済は、ラクダ1匹、驢(ウサギウマ=ロバのこと)1匹、羊2頭、白雉(シロキキズス=白いキジ)1隻を献上しました。
秋9月1日。百済は、ラクダ1匹、驢(ウサギウマ=ロバのこと)1匹、羊2頭、白雉(シロキキズス=白いキジ)1隻を献上しました。
解説
地震
地震の記述は允恭天皇即位5年7月にも見られますが、允恭天皇の記述が「地震があった」とだけしか書いていないのに対して、ここでは「家が壊れた」「国中に地震の神を祭らせた」とあることから、規模が大きかったのかも。
もしくは允恭天皇の時代の記述が少ないか、允恭天皇の時代と、推古天皇の時代では、社会の発展に大きな差があったか。
地震の記述は允恭天皇即位5年7月にも見られますが、允恭天皇の記述が「地震があった」とだけしか書いていないのに対して、ここでは「家が壊れた」「国中に地震の神を祭らせた」とあることから、規模が大きかったのかも。
もしくは允恭天皇の時代の記述が少ないか、允恭天皇の時代と、推古天皇の時代では、社会の発展に大きな差があったか。
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