壬生を定める・神祗を重んじる

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推古天皇(二十四)壬生を定める・神祗を重んじる

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原文

十五年春二月庚辰朔、定壬生部。戊子、詔曰「朕聞之、曩者、我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祗、周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祠神祗、豈有怠乎。故、群臣共爲竭心、宜拜神祗。」甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拜神祗。

現代語訳

即位15年。春2月1日。壬生部(皇子女のための部民・乳部とも書く)を定めました。

9日に詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕は聞いた。昔、私の皇祖の天皇たちは世を治めたこと、天に背を屈めて、地を音を立てずに踏み、篤く神祗(アマツカミクニツカミ)を礼を持って敬っていた。周囲の山川を祀り、はるか遠くの乾坤(アメツチ=天地)を心を通わせた。陰陽(フユナツ)が開いて、和合することがあるだろうか。群臣(=臣下たち)とともに心を尽くして、神祗を拝み敬い祀るべきだ」

15日。皇太子と大臣と百僚(ツカサツカサ)を率いて、神祗を祀り拝みました。
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解説

冠位十二階を定めたのは、冠位の名前から見れば「儒教的」です。憲法十七条は日本の法治国家としての基礎。これを持って「法家」というのは極端ですが、仮に法家としましょう。その後は仏像と寺、そしてそれに関わった鞍作鳥を冠位の3番目の「大仁」に任じ、聖徳太子がお経を講じる。・・・つまり仏教です。

そしてこのページでは「神祗」を重んじることを言葉で示し、参拝までした。神道を重んじています。これらをバランス良く利用する聖徳太子の感覚は見事、と思いますね。そして、これを成立させているのが日本の「和」です。

ところでこの聖徳太子の行動を蘇我馬子はどう思っていたのでしょうか。望んでいたのか、望んでいなかったのか。
壬生部
これまで皇子・皇女の世話をする部民には、皇子・皇女の名前をつけていましたが、これ以降は「壬生」「乳部」となります。
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