蘇我蝦夷の宴会と推古天皇の遺言

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舒明天皇(二)蘇我蝦夷の宴会と推古天皇の遺言

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原文

九月、葬禮畢之、嗣位未定。當是時、蘇我蝦夷臣、爲大臣、獨欲定嗣位、顧畏群臣不從、則與阿倍麻呂臣議而聚群臣饗於大臣家。食訖將散、大臣令阿倍臣語群臣曰「今天皇既崩无嗣。若急不計、畏有亂乎。今以詎王爲嗣。天皇臥病之日、詔田村皇子曰、天下大任、本非輙言、爾田村皇子、愼以察之、不可緩。次詔山背大兄王曰、汝獨莫誼讙、必從群言、愼以勿違。則是天皇遺言焉。今誰爲天皇。」

現代語訳

(推古天皇即位36年)9月。葬礼が終わりました。天皇の位が未だに定まっていませんでした。この時、蘇我蝦夷臣(ソガノエミシノオミ=蘇我馬子の子)が大臣でした。一人で天皇位を定めたいと思っていました。しかし群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)が従わないだろうことを恐れました。それで阿倍麻呂臣(アヘノマラノオミ)と合議して、群臣を集めて、大臣の家で食事会をしました。食べ終わって、散会しようとした時に、大臣が阿倍臣に命令して群臣に語っていました。
「今、天皇はすでに崩御して、跡継ぎが決まっていない。もし、速やかに計画を立てなくてない、おそらく乱があるだろう。今、どの王を持って跡継ぎとするべきか。天皇が病に伏せた日に、田村皇子(タムラノミコ=のちの舒明天皇)に詔(ミコトノリ)して言った。
『天下は大任(オオキナルヨサシ)だ。本から容易く言うものではない。お前、田村皇子。慎しみ、よく観察しなさい。緩めてはいけない』
次に山背大兄王(ヤマシロノオオエノミコ)に詔(ミコトノリ)して言いました。
『お前、一人でやかましく言ってはいけませんよ。必ず群(アヘツキミタチ=臣下たち)の言葉に従い、慎しみ、間違うことのないように』
これは推古天皇の遺言だ。今、誰を天皇とするべきだろうか」
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解説


の中で語られた推古天皇の遺言を理由に蘇我氏が誰を皇位につけるのかを操作しようとしています。こうやって推古天皇の遺言と蘇我蝦夷の政略を並べて書くということは、推古天皇の意図したことと、蘇我氏の政略の間には違いあったのかもしれません。
ようは推古天皇は「そういうつもりじゃなかった」のに、その遺言を歪めて蘇我蝦夷は政治的に利用した…のかもしれないってことです。

例えば、推古天皇は田村皇子に「お前は天皇には向いていない。軽々しく皇位につきたいなどと言ってはいけない」と言い、山背大兄には「お前が天皇になろうだろう。だからコツを教えてあげよう。臣下の意見をしっかりと聞くことだよ」と言ったのに、蘇我蝦夷は、全く逆の解釈を加え、無理やりに田村皇子を舒明天皇に即位させた…のかもしれません。
蘇我氏と冠位十二階
蘇我馬子の子供の蝦夷が大臣であったことが書かれています。蘇我馬子の子、なんだから当然。と行きたいところですが、冠位十二階というのは氏族の名前ではなく実力によって冠位を決めるところが良いところなわけです。それが、すでに中心人物から崩れている。
これに関しては蘇我氏は「冠位を決める側」だったからという話もありますが、うーん、それでは蘇我氏が完全な支配者ではないですか。
冠位と遺言
推古天皇の遺言は田村皇子を望んでいなかった。にも関わらず、蘇我蝦夷はこれを利用した。となると、まるで周囲の臣下たちがアホばっかりのような気がしますが、それだけ蘇我氏の権力が強かったってことじゃないかと。もしかすると冠位を決める権限が蘇我氏にあり、氏族たちは逆らえない状況だったのかもしれませんね。
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