舒明天皇(十五)皇后と子息・高麗と百済の朝貢

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舒明天皇(十五)皇后と子息・高麗と百済の朝貢

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原文

二年春正月丁卯朔戊寅、立寶皇女爲皇后。后生二男一女、一曰葛城皇子近江大津宮御宇天皇、二曰間人皇女、三曰大海皇子淨御原宮御宇天皇。夫人蘇我嶋大臣女法提郎媛、生古人皇子更名大兄皇子。又娶吉備国蚊屋采女、生蚊屋皇子。三月丙寅朔、高麗大使宴子拔・小使若德・百濟大使恩率素子・小使德率武德、共朝貢。

現代語訳

即位2年春1月12日。宝皇女(タカラノヒメミコ=後の皇極天皇)を皇后としました。后は2人の男と1人の女を産みました。一人目が葛城皇子(カツラキノミコ)といいます。
近江大津宮御宇天皇(ウミノオオツノミヤニシテアメノシタシラシメシスメラミコト=天智天皇=中大兄皇子)です。

二人目は間人皇女(ハシヒトノヒメミコ=孝徳天皇の皇后)です。
三人目は大海皇子(オオシアマノミコ)といいます。
淨御原宮御宇天皇(キヨミハラノミヤニシテアメノシタシラシメシシスメラミコト=天武天皇)です

夫人は蘇我嶋大臣(ソガノシマノオオオミ=蘇我馬子)の娘の法提郎媛(ホホテノイラツメ)です。古人皇子(フルヒトノミコ)…
または大兄皇子と名付けました。

を産みました。
また吉備国の蚊屋采女(カヤノウネメ)を娶って、蚊屋皇子(カヤノミコ)を産みました。

3月1日。高麗の大使の宴子抜(アンシバイ)・小使の若德(ニャクトク)。百済の大使の恩率素子(ソンソチスシ)・小使の徳率武徳(トクソチムトク)が、ともに朝貢しました。
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解説

これからの時代を動かしていく人物が大体揃って来ました。ここから日本書紀の終わりまではこの家族の中で権力が行ったり来たりするだけ、って言い方もできますね。
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