孝徳天皇(二)人事・大錦冠を中臣鎌子に

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孝徳天皇(二)人事・大錦冠を中臣鎌子に

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原文

由是、輕皇子、不得固辭、升壇卽祚。于時、大伴長德(字馬飼)。連、帶金靫、立於壇右。犬上建部君、帶金靫、立於壇左。百官臣連国造伴造百八十部、羅列匝拜。是日、奉號於豊財天皇曰皇祖母尊、以中大兄爲皇太子。以阿倍內麻呂臣爲左大臣、蘇我倉山田石川麻呂臣爲右大臣。以大錦冠、授中臣鎌子連爲內臣、増封若于戸、云々。中臣鎌子連、懷至忠之誠、據宰臣之勢、處官司之上。故、進退廢置計從事立、云々。

現代語訳

軽皇子(カルノミコ=孝徳天皇)は固辞できなくなって、壇(タカミクラ)に登って、天皇に即位しました。その時に大伴長徳連(オオトモオナガトコノムラジ)…
字名は馬飼(ウマカイ)

は金の靫(ユキ=矢を入れる筒)を帯びて、壇(タカミクラ)の右に立ちました。犬上健部君(イヌカミノタケベノキミ)は金の靫(ユキ)を帯びて、壇の左に立ちました。百官(ツカサツカサ=役人・官僚)の臣・連・国造・伴造・180の部民は羅列して重なり、拝礼しました。この日に号(ミナ)を豊財天皇(トヨタカラノスメラミコト=皇極天皇)に奉り、皇祖母尊(スメミオヤノミコト=皇極上皇)と言うようになりました。中大兄(ナカノオオエ)を皇太子としました。阿倍内麻呂臣(アヘノウチマロノオミ)を左大臣としました。蘇我倉山田石川麻呂臣(ソガノクラノヤマダノイシカワノマロノオミ)を右大臣としました。大錦冠(ダイキムノカウブリ)を中臣鎌子連(ナカトミノカマコノムラジ)に授けて、内臣としました。管理する人は若干増えました。云々。
中臣鎌子連は忠誠心があり誠意がある。宰臣(マツリゴトマヘツキミ=宰相・臣下)の勢いによって、官司(ツカサツカサ=役人・官僚)の上にいます。それで人事の進退や配置といった計画に人々は従い、仕事はうまくいきました。云々。
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解説

皇極天皇は「皇祖母尊」と呼ばれるようになりました。皇極天皇は、蘇我入鹿の暗殺に際には「無関係」という感じでしたが、果たして本当に無関係で、単に巻き込まれたというのか。それはこれから、孝徳天皇が都に置き去りにされてしまうなどを考えると、暗殺は皇極天皇の主導で、この時代の主権は実は「皇極天皇だった」のではないかという疑念も湧きましょうよ。
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