スポンサードリンク
孝徳天皇(六)神祗を祭り、政を合議するべき
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
戊寅、天皇詔阿倍倉梯萬侶大臣・蘇我石川萬侶大臣曰、當遵上古聖王之跡、而治天下。復當有信、可治天下。己卯、天皇詔阿倍倉梯麻呂大臣・蘇我石川萬侶大臣曰、可歷問大夫與百伴造等、以悅使民之路。庚辰、蘇我石川麻呂大臣奏曰、先以祭鎭神祗、然後應議政事。是日、遣倭漢直比羅夫於尾張国、忌部首子麻呂於美濃国、課供神之幣。
現代語訳
(即位1年7月)13日。天皇は阿倍倉梯麻呂大臣(アヘノクラハシマロノオオオミ)・蘇我石川万呂大臣(ソガノイシカワマロノオオオミ)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「歴代の丈夫(マヘツキミ=臣下)と百の伴造たちと、喜ぶ心を持ち、民を使う道を問いなさい」
14日。蘇我石川麻呂大臣(ソガノイシカワノマロオノオオオミ)は申し上げて言いました。
「まず神祗(アマツカミクニツカミ)を祭り鎮めて、そうした後に政事(マツリゴト=政治)を合議するべきです」
この日に倭漢直比羅夫(ヤマトノアヤノアタイヒラブ)を尾張国へ。忌部首子麻呂(イミベノオビトオコマロ)を美濃国に派遣して、神に供える幣(マイナイ)を課しました。
「歴代の丈夫(マヘツキミ=臣下)と百の伴造たちと、喜ぶ心を持ち、民を使う道を問いなさい」
14日。蘇我石川麻呂大臣(ソガノイシカワノマロオノオオオミ)は申し上げて言いました。
「まず神祗(アマツカミクニツカミ)を祭り鎮めて、そうした後に政事(マツリゴト=政治)を合議するべきです」
この日に倭漢直比羅夫(ヤマトノアヤノアタイヒラブ)を尾張国へ。忌部首子麻呂(イミベノオビトオコマロ)を美濃国に派遣して、神に供える幣(マイナイ)を課しました。
スポンサードリンク
解説
儒教か和か
日本は伝統的に「和」を重んじてきました。みんなで仲良くし、話し合って決めるというのが基本。そして話し合いは、全会一致が基本。その合議の中には「上下」はありません。
その一方で儒教は、上下関係を重んじます。上の人は下に命令します。下は上の命令に従います。この上下関係を維持することが社会を安定させ、秩序を維持するのが大事な思想です。
孝徳天皇は冒頭で「儒教を重んじている」と書いてあったのですが、少なくともここでは、儒教より、「和」を重んじていると思われます。ということは孝徳天皇は実権が無いのかもしれない。
日本は伝統的に「和」を重んじてきました。みんなで仲良くし、話し合って決めるというのが基本。そして話し合いは、全会一致が基本。その合議の中には「上下」はありません。
その一方で儒教は、上下関係を重んじます。上の人は下に命令します。下は上の命令に従います。この上下関係を維持することが社会を安定させ、秩序を維持するのが大事な思想です。
孝徳天皇は冒頭で「儒教を重んじている」と書いてあったのですが、少なくともここでは、儒教より、「和」を重んじていると思われます。ということは孝徳天皇は実権が無いのかもしれない。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
孝徳天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page2 孝徳天皇(二)人事・大錦冠を中臣鎌子に
- Page3 孝徳天皇(三)沙門旻法と高向史玄理を国博士に・金策・天皇と皇祖母尊と皇太子の盟約
- Page4 孝徳天皇(四)皇后と二人の妃・明神御宇日本天皇の高麗への詔旨
- Page5 孝徳天皇(五)百済と日本の歴史・三輪君東人と馬飼造の派遣
- Page6 孝徳天皇(六)神祗を祭り、政を合議するべき
- Page7 孝徳天皇(七)東国の国司への詔・戸籍と田畑の検校
- Page8 孝徳天皇(八)鐘匱の制
- Page9 孝徳天皇(九)良賤法
- Page10 孝徳天皇(十)大寺での僧尼への詔
スポンサードリンク