孝徳天皇(二十四)東国の国司への詔・六人奉法二人違令

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孝徳天皇(二十四)東国の国司への詔・六人奉法二人違令

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原文

三月癸亥朔甲子、詔東国々司等曰。集侍群卿大夫及臣連国造伴造幷諸百姓等、咸可聽之。夫君於天地之間而宰萬民者、不可獨制、要須臣翼。由是、代々之我皇祖等、共卿祖考倶治。朕復思欲蒙神護力、共卿等治。故、前以良家大夫使治東方八道。既而国司之任、六人奉法二人違令、毀譽各聞。朕便美厥奉法、疾斯違令。凡將治者若君如臣、先當正己而後正他。如不自正、何能正人。是以、不自正者、不擇君臣、乃可受殃。豈不愼矣。汝率而正、孰敢不正。今隨前勅而處斷之。

現代語訳

(即位2年)3月2日。東国の国司たちに詔(ミコトノリ)して言いました。
「集まっている群卿大夫(マヘツキミタチ=臣下たち)と臣・連・国造・伴造と諸々の百姓たちは、皆、聞きなさい。天地の間において、君主としてすべての民を治めるというのは、一人で治め制することではない。必ず臣下の助けを用いるものです。それで代々、我が皇祖(スメミオヤ)たちは、お前たちの祖考(ミオヤ=先祖)とともに収めてきた。朕(ワレ)も神のご加護の力を受けて、お前たちと共に治めようと思っている。以前、良家の大夫(マヘツキミ=臣下)を東の方の8道(=東山道・東方諸国を8つ分けて国司を派遣した)を治めた。すでに国司は任に就き、6人は法(ノリ)を受け賜り、2人は令(ノリ)に違反した。誹謗中傷も褒め称える声もそれぞれに聞ている。朕はすぐにこの法を受け賜った者を褒め、この令(ノリ)に違反したものを憎んだ。すべての治めようと思っている者は君主も臣たちも、まず己を正しくして、その後に他人を正しなさい。もし、自ら正しくないのに、どうして人を正すことが出来るだろうか。自ら正しくない者は、君主・臣下を選ばず、災いを受けるだろう。どうして慎まないでいられるか。お前たちが、民を正しく導くには、正しくないでいられるわけがない。今、以前に勅(ミコトノリ)に従って、処断しなさい」
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解説

東国は大和朝廷にとって、まだまだ未開の土地だったですが、関係はすでにそこそこ深かったようです。大和朝廷は、東国に国司を送り、「法令」によって管理し治めるようにした。8人を送り、2人は法令に違反した。違反したというのは、法令による統治を拒否したという意味だと思われます。

今の日本人にはルールを守るというのは当たり前のことですが、当時は法による統治というものがまだ新しいですし、東国は大和朝廷とは文化が違います。

聖徳太子の子の山背大兄王が追い詰められた時に「東国に一旦逃げて、再起を図る」ということを部下に勧められています。つまり東国は、統治が行き届いていない地域で、そこに逃げ込めば、が再起を図ることは簡単だった。

大和朝廷としては東国の治安を安定させることは朝廷の安定運営にも大事だと考えたのでしょうね。無論、税金を取るのも大事な目的でしょうけど。

また平安時代には平将門が中央に反発して乱を起こしています。東国はまだまだしばらくは治安の不安定な地域だったと思います。
●平将門は関東の国司の圧政に反発して…とされるので例としては合ってないかも。
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