孝徳天皇(二十八)阿曇連の罪・膳部臣百依の罪・河辺臣磐管と湯麻呂の罪

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孝徳天皇(二十八)阿曇連の罪・膳部臣百依の罪・河辺臣磐管と湯麻呂の罪

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原文

其阿曇連闕名所犯者、和德史有所患時、言於国造使送官物、復取湯部之馬。其介膳部臣百依所犯者、草代之物收置於家、復取国造之馬而換他馬來。河邊臣磐管・湯麻呂、兄弟二人、亦有過也。

現代語訳

阿曇連(アズミノムラジ)…
名前は漏れていて分からない。

が犯した罪は、和徳史(ワトコノフビト)が病気を患った時に、国造に言って、官物(ツカサノモノ=公共の物品)を送らせました。また湯部(ユベ=皇子の養育費を捻出する部署?)の馬を取った。その介(スケ=次官・補佐)の膳部臣百依(カシワデノオミモモヨリ)が犯した罪は、草代(クサシロ=朝廷の牧草?)の物を自分の家に収め置いた。また国造の馬を取って、他人の馬に交換してしまった。河辺臣磐管(カワヘノオミイワツツ)・湯麻呂(ユマロ)の兄弟(ハラカラ=同腹兄弟)もまた、過(トガ)があった。
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解説

湯部
古事記に「大湯坐(オホユエ)・若湯坐(ワカユエ)」を本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)につけていると書いてあります。「湯」が皇子の養育に関わることなのは、そこからです。
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