孝徳天皇(三十一)皇子と皇祖大兄の御名入部

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孝徳天皇(三十一)皇子と皇祖大兄の御名入部

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原文

壬午、皇太子、使々奏請曰。昔在天皇等世、混齊天下而治。及逮于今、分離失業謂国業也。屬天皇我皇可牧萬民之運、天人合應、厥政惟新。是故、慶之尊之頂戴伏奏。現爲明神御八嶋国天皇、問於臣曰。其群臣連及伴造国造所有・昔在天皇日所置子代入部・皇子等私有御名入部・皇祖大兄御名入部謂彦人大兄也及其屯倉、猶如古代而置以不。臣、卽恭承所詔奉答而曰。天無雙日、国無二王。是故、兼幷天下・可使萬民、唯天皇耳。別、以入部及所封民簡充仕丁、從前處分。自餘以外、恐私駈役。故、獻入部五百廿四口・屯倉一百八十一所。
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現代語訳

(即位2年)3月20日。
皇太子は使者を派遣して、申し上げて請願しました。
「昔の天皇たちの世には天下をひとまとめにして統治してきました。今に至っては、分離して業(ワザ)を失ってしまった。
国の業を言います。

天皇、我が君! 万民を養う運営に当たり、天も人も答えて、その政治を改めて行きましょう。喜び尊び、頂戴し伏して奉ります。現爲明神御八嶋国天皇(アキツミカミトヤシマグニシラススメラミコト)は私めに問うて言いました。
『その諸々の臣・連・伴造・国造の所有する、昔の天皇の時に置いた子代入部(コシロノイリベ=子代は天皇の名を残すための部民で、臣・連・伴造・国造が管理していた)、皇子たちが私有する御名入部(ミナノイリベ=名代・子代と同じ)、皇祖大兄(スメミオヤオオエ=忍坂彦人大兄皇子=皇極天皇と孝徳天皇の祖父で、中大兄皇子の曽祖父)の、御名入部…
彦人大兄(ヒコヒトノオオエ=忍坂彦人大兄皇子)を言います。

及び、その屯倉(ミヤケ=直轄地)を古代のようにして置こうとするか、しないか』
私めはすぐに慎み、詔(ミコトノリ)したことを受け賜り、答えて申し上げました。
『天に二つの日はありません。国に二つの王はありません。天下を併合して万民を使うべきものは、ただ天皇だけです。入部(イリベ)とその土地に所属し所有する民を仕丁(ツカエノヨホロ)に選び、充てること、以前の処分(コトワリ)に従いましょう。これ以外のことは私用に使役することは恐れ多いことです。そこで入部の524口(=524人)と屯倉181か所を献上します』と」
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解説

仕丁と以前の処分
以下のページにあった
孝徳天皇(十八)その4絹絁糸綿・馬・兵・仕丁・采女・庸布・庸米
仕丁(ヨホロ=雑役をするもの)は以前は30戸ごとに1人だったのを改めて、
一人を廚(クリヤ=料理場)に当てました。

50戸ごとにに1人を…
一人を廚に当てました。

諸司(ツカサツカサ=役所)に当てなさい。
50戸に仕丁(ヨホロ)1人の粮(カテ=食料)に当てなさい。

あたりのことだと思われます。
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