孝徳天皇(三十二)薄葬の詔

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孝徳天皇(三十二)薄葬の詔

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原文

甲申、詔曰。朕聞、西土之君戒其民曰。古之葬者因高爲墓、不封不樹、棺槨足以朽骨、衣衿足以朽宍而已。故、吾營此丘墟・不食之地、欲使易代之後不知其所。無藏金銀銅鐵、一以瓦器、合古塗車・蒭靈之義。棺漆際會三過、飯含無以珠玉、無施珠襦玉柙。諸愚俗所爲也。又曰。夫葬者藏也、欲人之不得見也。

現代語訳

(即位2年)3月22日。
詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)は聞く。西土(モロコシノクニ=中国のこと)の君主はその民を戒めて言った。
『古代の葬式は高い丘陵を墓とした。土を盛り上げず、植樹もしない。棺槨(キ=お棺)は骨が朽ち果てるくらいのもの(=立派で頑丈なお棺じゃない)、衣衿(コロモ=衣服)は宍(シシ=人間の肉体)が朽ち果てるくらいのもの(=立派な服じゃない)。よって私の丘墟(オカ=墳丘)は不食(イタズラ=手の付いていない空き地)の土地に造営して、代替わりした後の時代には、その場所が分からないようにしてほしい。金(コガネ)・銀(シロカネ)・銅(アカガネ)・鉄(ネリカネ)を収めることは無いように。瓦の器で、古代の塗車(クルマカタ=泥で作った車)・蒭靈(ヒトカタ=草で作った人形)を収蔵してほしい。お棺の隙間のところは漆(ウルシ)を塗るのは3年に一回でいい。死者の口に飯を含ませるのに、珠玉(タマ=宝石)を入れることは無いように。珠襦(タマノコシコロモ=王様の服の上着)と玉柙(タマノハコ=王様の服の下)を着せることの内容。こういうのは諸々の愚かな俗人がすることだ』と言いました。
また言った。
『その葬式は隠せ。人が見られないようにすることを欲す』
と。
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解説

孝徳天皇が「中国の偉い人が言ったそうな」としています。この文章は「魏志」の「武帝紀」「文帝紀」とほぼ同じ。

このあたりから古墳は大きいものを作るのを止めます。トレンドですよね。質素な方がかっこいいというのもあったんでしょう。それだけでなく財政の問題があった。古墳というのは作るのにお金がかかります。それだけでなく、その後も管理運営が大変なんです。現代の箱物行政ですよ。本当は木や草は生えちゃいけないから、墓守というか、古墳守りを配置して、当然、給料も出さないといけない。財政を圧迫するんですね。

ところが、古墳を作り、管理するってのを縮小することによって、それを仕事としていた人が中央では生活ができなくなります。主に土師部といった古墳築造のプロの部民です。彼らが中央から地方に移民します。そして今度は地方で古墳が作られるようになります。

土師部はそもそも出雲の民です。彼らが地方の…まぁ、関東に移住してそこで生活をする。すると関東に出雲関係の神社を立てることになります。それが「氷川神社」などです。氷川神社の祭神はスサノオ。氷川は出雲の「斐伊川」のことです。
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