土師部

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土師部

投稿日時:2017-07-13 11:00:58
漢字・読みハジベ
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土師部

土師部は古事記に登場する集団の名前。
垂仁天皇の時代に殉葬の代わりに、埴輪を古墳に埋めるようになりまして、その埴輪を作る集団の名前が「土師部」です。土師部という言葉は古事記に一回しか登場せず、日本書紀では「贄土師部」という言葉が出ますが、同じかどうかは怪しい。贄土師部は神への献上品を入れる器を作る集団だと思われるので、性質が違う。
土師連
アメノホヒ(天穂日神・天之菩卑能命)の子孫に土師連がいると古事記にも日本書紀にもあります。土師連は土師器という土器を作る集団。土師部は土師連の中の「埴輪専門」にした集団だったのではないかなと思います。
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引用

古事記からの引用
垂仁天皇の墓
皇后の比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)の時に石の棺をつくる部民を定めました。またそれまで氏族の有力者が亡くなった場合に従者が生き埋めにされていましたが、従者の代わりに埋める土作りの人形(埴輪)を作る土師部を定めました。この比婆須比売命の墓は狭木の寺間陵にあります。

日本書紀からの引用
雄略天皇(五十一)朝夕の御膳を盛る清器と土師連の祖先の吾笥
それで土師連の祖先の吾笥(アケ)は摂津国の来狹々村(クササノムラ=摂津国河辺郡玖左佐村=現在の大阪府豊能郡)・山背国の内村(ウチノムラ=山城国綴喜郡有智郷=現在の京都府綴喜郡八幡町内里)・俯見村(フシミノムラ=山城国紀伊郡伏見村=現在の京都市伏見区)・伊勢国の藤形村(フジカタノムラ=現在の三重県津市藤方?)・と丹波(タニハ)・但馬(タジマ)・因幡(イナバ)の私民部(ワタクシノカキベ=土師連の個人的な部民)を献上しました。名付けて贄土師部(ニヘノハジベ=供物の器を作る部)と言います。

安閑天皇(九)廬城部連枳莒喩の娘の幡媛の罪・物部尾輿も土地を献上
物部大連尾輿は、事件の責任が自分に向くことを怖くて、不安になりました。そこで十市部(トオチベ=大和国十市郡)・伊勢国の来狹々(クササ)・登伊(トイ)の贄土師部(ニエノハジベ=神への食事を入れる食器を作る部民)、筑紫国の肝狹山部(イサヤマベ=現在の大分県下毛郡・福岡県京都郡勝山町北部の部民)を献上しました。
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