相楽

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相楽

投稿日時:2017-07-17 15:50:27
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相楽

相楽は古事記・日本書紀に登場する地名。
現在の京都府相楽郡。現在は「ソウラク」と読む。
円野比売が首を括った場所
古事記によれば垂仁天皇の妃となった円野比売が「ブサイクだから」と追い返された帰りに自殺しようとして、木に「ぶら下がった」ことから「相楽(サガラ)」という地名になったとしています。円野比売は美知能宇斯王(=丹波比古多々須美知能宇斯王)の娘で、丹波の人物です。丹波は兵庫県東部。日本書紀に「山背国の相楽郡」とあるので、丹波に帰る途中の山代国…京都南部での事件だったのでしょう。

京都南部は大和から見て、山を隔てていて、その場所に高麗の使節が滞在する館がありました。普通に考えて、貿易相手国の高麗です。京都南部まで来ているのであれば、ついでに大和まで来ればいいでじゃないですか。そこでもてなせばいいでしょう。結局、高麗の使者とは「穢れている」という認識だったのではないでしょうか。穢れているから大和までは連れて来られない。
円野比売の自殺の地名説話も、そこと繋がっているのではないかなと。
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引用

古事記からの引用
マトノヒメの死
山代の相楽という土地に着いたときに、木の枝で首を吊って死のうとしました。それでその土地を「(ブラ)下がる木」にちなんで「サガリキ」と呼ぶようになり、今は「相楽」と呼んでいます。

日本書紀からの引用
欽明天皇(八十九)蘇我稲目の死・江渟臣裾代の報告・高麗の船の座礁
「朕(ワレ)は帝業(アマツヒツギ)を受け継いで、若干の年を経た。高麗は路に迷って、初めて越の国の岸に到着した。漂い、溺れ、苦しんだだろうに、なお性命(ミイノチ)を健全に保っている。良い方策を広く知らしめて、高い徳は盛んになり、仁徳の教えを広め、通わせて、天皇の大きな恩(メグミ=愛)を遠く広がっていくものではないだろうか! 有司(ツカサ=役人のこと)よ! 山背国の相楽郡(サガラカノコオリ)に館(ムロツミ)を立てて、清め祓い、厚く助けて養うのだ」

欽明天皇(九十一)狹々波山で飾船に装い相楽館でもてなす
また高麗の使者を相楽(サガラカ)の館で歓迎して宴会をしました。

敏達天皇(二)烏の羽に書いた高麗の国書を王辰爾は読む
(即位1年)5月1日。敏達天皇は皇子と大臣に問いて言いました。
「高麗の使者は今どこにいるのか?」
大臣は答えて言いました。
「相楽(サガラカ)の館(ムロツミ)にいます」
天皇は聞いて、とても心を痛めました。そして悲しみ憂いて、嘆いて言いました。
「悲しいなぁ。この使者たちの名前はすでに前の亡くなった天皇(=欽明天皇)に聞こえているのに」
群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)を相楽の館に派遣して、高麗の使者が献上した調物(ミツキモノ=献上の品)を検閲して記録して、京師(ミヤコ=ここでは大和)に送らせました。
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