多遅多摩毛理(タヂマモリ)

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多遅多摩毛理

投稿日時:2017-07-11 21:40:56
漢字・読みタヂマモリ
別名田道間守
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多遅多摩毛理(タヂマモリ)

多遅多摩毛理(タヂマモリ)は古事記に登場する人物。
日本書紀では田道間守と記述される。
性別は不明だが一般的には男性。
三宅連の先祖。

有名なのは垂仁天皇に命じられて「香りの良い木ノ実」を求めて常世の国へと行ったのですが、橘を手に入れて帰国すると垂仁天皇がすでに死んでいて後追い自殺するというもの。

出自

古事記では出自は
天日槍神(アメノヒボコ
前津見(マヘツミ)…多遅摩の俣尾(マタオ)の娘
多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)

多遅摩母呂須玖
配偶者記述なし
多遅摩斐泥(タヂマヒネ)

多遅摩斐泥
配偶者記述なし
多遅摩比那良岐(タジマヒナラキ)

多遅摩比那良岐
配偶者記述なし
多遅麻毛理(タヂマモリ)
多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)
清日子(キヨヒコ)…子孫に神功皇后が見られる

日本書紀では以下の系譜です。
天日槍
麻多烏(マタオ)…出嶋の太耳の娘
但馬諸助(タジマノモロスケ)

但馬諸助
配偶者不明
但馬日楢杵(タジマノヒナラギ)

但馬日楢杵
配偶者不明
淸彦(キヨヒコ)

淸彦
配偶者不明
田道間守…三宅連の先祖
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朝鮮との関係など

但馬
記紀の出自を見れば分かりますが、どうも「但馬」と関係が深い。但馬(兵庫県北部)は、日本海と面していて、朝鮮や中国東北異民族と交易があったよう。それが天日槍との関係に繋がるのでしょう。
ところで、新羅の4代王の脱解尼師今(昔脱解)は倭国の東北一千里のところにある多婆那国(タバナ)が出自としていて、この多婆那国は「但馬」ではないか?と言われています。どちらにしても、朝鮮と但馬は関係が深いのだと思いますね。
天日槍の子孫
天日槍は朝鮮からやって来た神。詳細はアメノヒボコに譲るとして、タジマモリがこの朝鮮由来の血統を引いていることを考えると、ここでの「常世の国」というのは朝鮮を指している?という考え方もできます。だが、この天日槍が本当に朝鮮由来なのか自体も疑わしいですし、タジマモリが暖かいところの植物の「橘(柑橘系植物)」を手に入れたことを考えると、朝鮮に行ったのではなくて、九州南部か、沖縄・台湾じゃないかな?と思います。そっちの方が自然です。
殉死
タジマモリは垂仁天皇の死後に帰国し、後追い自殺してしまいます。しかし、垂仁天皇は殉葬を禁止しているのです(垂仁天皇(十八)殉葬の禁止)。タジマモリは常世の国へ行ってしまっていて、殉葬禁止を知らなかった、のかもしれません。
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古事記からの引用

ときじくのかくの木の実
垂仁天皇は三宅連の祖先の多遅多摩毛理(タヂマモリ)を常世の国へと派遣して、良い香りの実…橘(タチバナ)を探させました。

タジマモリはついに常世の国へとたどり着き、木の実を取り、持ち帰ったのですが、垂仁天皇はすでに亡くなっていました。

多遅摩毛理は悲しみのあまり
多遅摩毛理(タジマモリ)は半分の苗を皇后に献上しました。
残り半分の苗を垂仁天皇の墓の入り口に供えて、木の実を捧げ持って、大きな声で泣き叫びました。
「常世の国の香りの良い木の実を持って来ました!」
そのまま泣き叫びながら多遅摩毛理(タジマモリ)は死んでしまいました。
その香りの良い木の実とは今で言うところの「橘(タチバナ)」です。

アメノヒボコの子孫
アメノヒボコは但馬に留まって、多遅摩の俣尾(マタオ)の娘で、前津見(マヘツミ)を娶って産んだ子が、多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)です。

多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)の子が
多遅摩斐泥(タヂマヒネ)

多遅摩斐泥(タヂマヒネ)の子が
多遅摩比那良岐(タジマヒナラキ)

多遅摩比那良岐(タジマヒナラキ)の子が
多遅麻毛理(タヂマモリ)
多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)
清日子(キヨヒコ)
です。
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日本書紀からの引用

垂仁天皇(六)天日槍は諸国を巡り
天日槍は出嶋(イヅシ)の人の太耳(フトミミ)の娘の麻多烏(マタオ)を娶って、但馬諸助(タジマノモロスケ)が生まれました。諸助から但馬日楢杵(タジマノヒナラギ)を生まれ、日楢杵から淸彦(キヨヒコ)が生まれ、淸彦から田道間守(タジマモリ)が生まれました。

垂仁天皇(二十七)田道間守と非時香菓。天皇の崩御。
即位90年春2月1日。
天皇は田道間守(タジマノモリ)を常世国(トコヨノクニ)へ派遣しました。非時香菓(トキジクノカクノミ)を探させました。
香菓は箇倶能未(カクノミ)と読みます。

現在の橘(タチバナ=柑橘系の木)というのはコレです。

垂仁天皇(二十八)田道間守は三宅連の始祖
垂仁天皇が亡くなって翌年の春3月12日。
田道間守(タジマノモリ)は常世国(トコヨノクニ)に到着しました。求めていた非時香菓(トキジクノカクノミ)は八竿八縵(ヤホコヤカゲ…串団子のように連なり、干し柿を吊るしているように実がなっている)を持ち帰りました。
田道間守(タジマノモリ)が帰国すると垂仁天皇が亡くなっていました。ので泣き、悲歎(ナゲ)き言いました。

すぐに天皇の陵(ミササギ=墓)に向かい、叫び泣いて自殺しました。群卿(マヘツキミ)はそれを聞いて涙を流しました。田道間守(タジマノモリ)は三宅連の始祖です。
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