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本牟智和気御子
投稿日時:2017-06-29 15:53:33漢字・読み | ホムチワケノミコ |
別名 | 品牟都和気命(ホムツワケ)・誉津別命(ホムツワケノミコト) |
本牟智和気御子
本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)は古事記に登場する人物名。
皇族。
男性。
垂仁天皇と佐波遅比売命(サワジヒメ=サホビメ)との間の子供。
出生がややこしいが、詳細は品牟都和気命(ホムツワケ)を参考にしてください。
記述
古事記では、品牟都和気命(ホムツワケ)、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)。
日本書紀では誉津別命(ホムツワケノミコト)。
名前の由来
サホビメは兄サホビコにそそのかされて垂仁天皇を暗殺しようとするのですが、失敗し、サホビコとともに稲城に立て籠もります。古事記によれば、稲城に火がついたことで、「炎(ホムラ)」が「ホムチワケ」の由来とされています。
皇族。
男性。
垂仁天皇と佐波遅比売命(サワジヒメ=サホビメ)との間の子供。
出生がややこしいが、詳細は品牟都和気命(ホムツワケ)を参考にしてください。
記述
古事記では、品牟都和気命(ホムツワケ)、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)。
日本書紀では誉津別命(ホムツワケノミコト)。
名前の由来
サホビメは兄サホビコにそそのかされて垂仁天皇を暗殺しようとするのですが、失敗し、サホビコとともに稲城に立て籠もります。古事記によれば、稲城に火がついたことで、「炎(ホムラ)」が「ホムチワケ」の由来とされています。
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物語・由来
名前は一度しか出ない
この「本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)」は一度しか登場しません。ただし「御子」という表記では何度も登場します。また品牟都和気命(ホムツワケ)も一度しか登場しません。この品牟都和気命(ホムツワケ)、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)は表記違いなだけで同一人物。深い意味はないのかもしれません。もしかすると似たような別の複数の伝承をひとまとめにしたのかもしれません。「炎(ホムラ)」の神話が複数あり、それを「ホムチワケ・ホムツワケ」という名前で統合した神話なのかも。
この「本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)」は一度しか登場しません。ただし「御子」という表記では何度も登場します。また品牟都和気命(ホムツワケ)も一度しか登場しません。この品牟都和気命(ホムツワケ)、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)は表記違いなだけで同一人物。深い意味はないのかもしれません。もしかすると似たような別の複数の伝承をひとまとめにしたのかもしれません。「炎(ホムラ)」の神話が複数あり、それを「ホムチワケ・ホムツワケ」という名前で統合した神話なのかも。
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引用
古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子
本牟智和気御子の養育方法
ホムチワケ御子は言葉を発さなかった
ヤマノベノオオタカの白鳥追跡
ホムチワケ御子の祟りは出雲の大神の御心
アケタツ王とウナカミ王
岐比佐都美(キヒサツミ)とホムチワケ王
ヒナガヒメとホムチワケ御子
日本書紀からの引用
垂仁天皇(九)倭日向武日向彦八綱田
垂仁天皇の后妃と御子
本牟智和気御子の養育方法
するとサホビメが答えました。
「今、火(ホムラ)のついた稲城を焼いているときに生まれました。だから、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けてください」
「今、火(ホムラ)のついた稲城を焼いているときに生まれました。だから、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けてください」
ホムチワケ御子は言葉を発さなかった
ヤマノベノオオタカの白鳥追跡
ホムチワケ御子の祟りは出雲の大神の御心
アケタツ王とウナカミ王
岐比佐都美(キヒサツミ)とホムチワケ王
ヒナガヒメとホムチワケ御子
日本書紀からの引用
垂仁天皇(九)倭日向武日向彦八綱田
皇后は悲しんで言いました。
「わたしは皇后といっても、兄王を失っては面目(オモテ)がありません。世間に顔向けできません」
そして王子の譽津別命(ホムツワケノミコト)を抱いて、兄王の稲城に入りました。天皇はさらに軍衆(イクサビトドモ)を増やして、完全にその城を囲んでしまいました。そして城の中に向かって言いました。
「わたしは皇后といっても、兄王を失っては面目(オモテ)がありません。世間に顔向けできません」
そして王子の譽津別命(ホムツワケノミコト)を抱いて、兄王の稲城に入りました。天皇はさらに軍衆(イクサビトドモ)を増やして、完全にその城を囲んでしまいました。そして城の中に向かって言いました。
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