日下の高津池

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日下の高津池

投稿日時:2017-06-26 21:14:44
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概要

日下の高津池は古事記に登場する池の名前。
日本書紀では高石池(タカシノイケ)に対応しているとも思われますが、ハッキリしません。
垂仁天皇の子供の印色入日子命(イニシキノイリヒコ)が作った。
比定地
東大阪市の日下か、大阪府高石市とも。
解説
印色入日子命日本書紀では五十瓊敷命とあり、太陽神ではないか?と思われます。日下の高津池を作ったとあるのは、太陽神の関係があるのではないかと思います。

引用

古事記からの引用
垂仁天皇の治世
イニシキノイリヒコ命は血沼池(チヌノイケ)と狭山池と日下の高津池を作りました。また鳥取の河上宮で、刀千本をつくり、石上神宮に奉納しました。

日本書紀からの引用
垂仁天皇(二十二)高石池・茅渟池・狹城池・迹見池を作る
即位35年秋9月。
五十瓊敷命(イニシキノミコト)を河内国に派遣して高石池(タカシノイケ)と茅渟池(チヌノイケ)を作らせました。冬10月に倭(ヤマト)の狹城池(サキノイケ)と迹見池(トミノイケ)を作りました。その年、諸国に命じてたくさんの池溝(ウナデ=水路)を掘らせました。数800余り。農(ナリワイ)を事業としました。これで百姓に富みが広がり、天下泰平となりました
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