鳥取の河上宮

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鳥取の河上宮

投稿日時:2017-06-09 18:39:49
別名茅渟の菟砥川上宮
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概要

鳥取の河上宮は古事記に登場する宮の名前。
日本書紀で対応する名前が「茅渟(チヌ)の菟砥川上宮(ウトノカワカミノミヤ)」です。
比定地
大阪府阪南市。阪南市には鳥取・和泉鳥取・鳥取中・鳥取三井といった地名が残っています。
阪南市玉田山公園内の菟砥川上宮旧跡碑があり、これは「鳥取の河上宮」・「茅渟の菟砥川上宮」があった場所とされます。

物語・由来

刀・剣は石製ではないか
「鳥取の河上宮」は古事記・日本書紀共に「刀・剣」を作った宮として名前が上がっています。素直に考えると、この土地は金属加工を行う鍛治の土地だった、ってことになるんですが、果たしてそういう遺跡があるのかどうかは何とも。ネットで見てもそういう話は見られない。当時は「石でできた刀・剣」を祭祀で利用していたこともあるので、そういうことかもしれない。それらの1000本の刀を「石上神宮」に奉納したという記述から考えても「石製の刀・剣」のことだと考えた方が自然かなと。
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引用

古事記から引用
垂仁天皇の治世
印色入日子命(イニシキノイリヒコノミコト)は灌漑用に血沼池狭山池日下の高津池を作りました。また鳥取の河上宮で、刀千本をつくり、石上神宮に奉納しました。

日本書紀からの引用
垂仁天皇(二十三)十箇の品部と石上神宮、物部首の始祖
即位39年冬10月。
五十瓊敷命(イニシキノミコト)は茅渟(チヌ)の菟砥川上宮(ウトノカワカミノミヤ=大阪府阪南市玉田山?)いて、剣一千口を作りました。それでその剣を名付けて、川上部といいます。またの名は裸伴(アカハダガトモ)といいます。
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