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石衝毘売命
投稿日時:2017-06-07 07:39:46漢字・読み | イハツクビメ |
概要
石衝毘売命(イハツクビメ)は古事記に登場する人物。
日本書紀の両道入姫命(フタジノイリビメノヒメミコ)と同一人物とされる。
女性。
皇族。
父親は垂仁天皇(11代)。
母親は古事記では弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)。日本書紀では綺戸邊(カニハタトベ)。
記述
古事記では石衝毘売命(イハツクビメ)。別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)。
日本書紀では両道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ)。
婚姻と子供
古事記でも日本書紀でもヤマトタケルと結婚して、仲哀天皇を生んでいます。ヤマトタケルには嫁が何人もいて、子供が複数います。その中で仲哀天皇(14代)が即位しているのは、素直に考えて石衝毘売命(=両道入姫皇女)が有力者だったのではないかと。
日本書紀の両道入姫命(フタジノイリビメノヒメミコ)と同一人物とされる。
女性。
皇族。
父親は垂仁天皇(11代)。
母親は古事記では弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)。日本書紀では綺戸邊(カニハタトベ)。
記述
古事記では石衝毘売命(イハツクビメ)。別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)。
日本書紀では両道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ)。
婚姻と子供
古事記でも日本書紀でもヤマトタケルと結婚して、仲哀天皇を生んでいます。ヤマトタケルには嫁が何人もいて、子供が複数います。その中で仲哀天皇(14代)が即位しているのは、素直に考えて石衝毘売命(=両道入姫皇女)が有力者だったのではないかと。
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名前で考える
石衝毘売命はどう考えても同腹の兄弟の石衝別王(イハツクワケノミコ)と対になっています。兄妹はイザナギ・イザナミのように兄妹でありつつ、夫婦でもあったのではないかなと。この石衝別王・石衝毘売命の神話を大和朝廷に取り込んだ…つまりのが、垂仁天皇→景行天皇→成務天皇→仲哀天皇の時代だったのではないかなと。
出自
古事記
夫伊久米伊理毘古伊佐知命…垂仁天皇
妻弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)…大国之淵(オオクニノフチ)の娘
日本書紀
夫活目入彦五十狹茅天皇…垂仁天皇
妻綺戸邊(カニハタトベ)…山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘
夫伊久米伊理毘古伊佐知命…垂仁天皇
妻弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)…大国之淵(オオクニノフチ)の娘
日本書紀
夫活目入彦五十狹茅天皇…垂仁天皇
妻綺戸邊(カニハタトベ)…山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘
磐衝別命(イワツクワケノミコト)…三尾君(ミオノキミ)の始祖
もう一人、古事記でヤマトタケルの妻となった両道入姫命(=古事記での石衝毘売命)の名前があるべきだが、日本書紀の垂仁天皇紀では見られない。ただし「仲哀天皇(一)立太子と出自」ではヤマトタケルの妃で「両道入姫命は垂仁天皇の娘」という記述がある。
もう一人、古事記でヤマトタケルの妻となった両道入姫命(=古事記での石衝毘売命)の名前があるべきだが、日本書紀の垂仁天皇紀では見られない。ただし「仲哀天皇(一)立太子と出自」ではヤマトタケルの妃で「両道入姫命は垂仁天皇の娘」という記述がある。
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配偶者と子孫
古事記
夫倭建命(ヤマトタケル)
妻布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメ)…伊玖米天皇(イクメ=垂仁天皇)の娘
日本書紀
夫日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
妻両道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ)
夫倭建命(ヤマトタケル)
妻布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメ)…伊玖米天皇(イクメ=垂仁天皇)の娘
帯中津日子命(タラシナカツヒコ)=仲哀天皇
日本書紀
夫日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
妻両道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ)
稻依別王(イナヨリワケノミコ)…犬上君(イヌカミノキミ)・武部君(タケルベノキミ)の始祖
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)=仲哀天皇
布忍入姫命(ヌノシイリビメノミコト)
稚武王(ワカタケノミコ)
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)=仲哀天皇
布忍入姫命(ヌノシイリビメノミコト)
稚武王(ワカタケノミコ)
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古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子2
垂仁天皇の系譜
ヤマトタケルの子孫・系譜
また大国之淵(オオクニノフチ)の娘の弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)を娶って産んだ子供が
石衝別王(イハツクワケノミコ)
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)です。
この二柱です。
石衝別王(イハツクワケノミコ)
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)です。
この二柱です。
垂仁天皇の系譜
布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)は、倭建命(ヤマトタケル)の妻となりました。
ヤマトタケルの子孫・系譜
ヤマトタケルは
伊玖米天皇(イクメ=垂仁天皇)の娘の布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメ)を娶った生んだ子が
帯中津日子命(タラシナカツヒコ=仲哀天皇)です。
伊玖米天皇(イクメ=垂仁天皇)の娘の布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメ)を娶った生んだ子が
帯中津日子命(タラシナカツヒコ=仲哀天皇)です。
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日本書紀からの引用
景行天皇(四十五)日本武尊の妃と子女
仲哀天皇(一)立太子と出自
仲哀天皇(二)父への顧情を慰めたい
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は兩道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ=垂仁天皇の皇女)を娶って妃として、稻依別王(イナヨリワケノミコ)を生みました。次に足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇)、布忍入姫命(ヌノシイリビメノミコト)、稚武王(ワカタケノミコ)です。
兄の稻依別王(イナヨリワケノミコ)は犬上君(イヌカミノキミ)・武部君(タケルベノキミ)の以上二つの族の始祖です。
兄の稻依別王(イナヨリワケノミコ)は犬上君(イヌカミノキミ)・武部君(タケルベノキミ)の以上二つの族の始祖です。
仲哀天皇(一)立太子と出自
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の第二子です。母の皇后は兩道入姫命(モロヂノイリビメノミコト)といいます。活目入彦五十狹茅天皇(イクメイリビコイサチノスメラミコト)の娘です。
仲哀天皇(二)父への顧情を慰めたい
即位元年の春1月11日。太子は天皇位につきました。
秋9月1日に母の皇后(=兩道入姫命)を皇太后としました。
秋9月1日に母の皇后(=兩道入姫命)を皇太后としました。
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