倭建命(ヤマトタケルノミコト)の系譜の矛盾について

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倭建命

投稿日時:2017-10-06 13:48:12
漢字・読みヤマトタケルノミコト
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倭建命

倭建命(ヤマトタケルミコト)は古事記に登場する人物名。
古事記の中でも「小碓(オウス)」「倭男具那命」「倭男具那王」「倭建御子」と記述される。
日本書紀では「日本武尊」や「日本童男」「日本武皇子」など。
ヤマトタケルの性質はそのページで。
ここでは「倭建命」の矛盾について特に記述します。

倭建命は景行天皇の息子なのですが、倭建命の曽孫である須売伊呂大中日子王の娘の訶具漏比売がなぜか、景行天皇の妃になっています。細かいことを言うと以下の系譜になります。

系譜

倭建命…景行天皇の皇子
弟橘比売命
若建王(ワカタケル)

若建王(ワカタケル)
飯野真黒比売(イイノマグロヒメ)
須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)

須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)
近江の柴野入杵(シバノイリキ)の娘
迦具漏比売命(カグロヒメノミコト…景行天皇の妃

この迦具漏比売命の孫が「大中比売命」で仲哀天皇の妃となり香坂王忍熊王を生んでいます。
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矛盾の理由

これに関しては「誤記」なのかもしれないし、神話であるが故の矛盾なのかもしれない。もしかすると「倭建命」という名前の人物は複数いたのかもしれない。私個人としては「ヤマトタケル」という名前自体は個人名ではないと考える方が自然に思います。複数人いて、混同しているのではないかと。しかし、仮にこれが誤記(写間違いを含めた)ではないとすると、古事記は矛盾を承知で記述したということになります。

古事記からの引用

垂仁天皇の系譜
布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)は、倭建命(ヤマトタケル)の妻となりました。

景行天皇の皇后と皇子2
また倭建命(ヤマトタケル)の曾孫の須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコ)の娘の訶具漏比売(カグロヒメ)を娶って生んだ子供が
大枝王(オオエ)
です。

景行天皇の皇太子
その中のうち、若帯日子命(ワカタラシヒコ)と倭建命(ヤマトタケル)と五百木之入日子命(イオキノイリヒコ)、この三王は皇太子です。

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