ヤマトタケルとイズモタケル

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ヤマトタケルとイズモタケル

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原文

すなはち出雲国に入りまして、その出雲建(イズモタケル)を殺さむと欲ひて、到りますすなはち友を結びたまひき。かれ、窃(ヒソ)かに赤梼(イチヒ)以ちて詐(イツハリ)の刀(タチ)を作り、御佩として、共に肥河に沐(カワアミ)したまひき。ここに倭建命 河より先づ上りまして、出雲建が解き置ける横刀を取り佩きて、「刀(タチ)易(カヘ)せむ」と詔りたまひき。かれ、後に出雲建河より上りて、倭建命の詐の刀を佩きき。

現代語訳

(クマソタケル兄弟を倒し、ヤマトタケルとなったオウス命は)「出雲国」へと入り、その首長である「出雲建(イズモタケル)」を殺そうと考えました。
到着すると倭建命ヤマトタケルミコト)はすぐに出雲建(イズモタケル)と友人となりました。

そしてひそかにイチイ(櫟【=木の名前】)で偽の刀を作り、それを身に着けて、出雲建(イズモタケル)と肥河で水浴びをしました。

倭建命(ヤマトタケルミコト)は水浴びを終えて、河より上がり、出雲建(イズモタケル)が解いて置いていた刀を取り、
「刀を取替えよう」
と言いました。

出雲建(イズモタケル)は河から上がり、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の偽者の刀を身に着けました。
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解説

肥河島根県の斐伊川。

個人的コラム

クマソタケルの次はイズモタケル。
これはクマソと出雲がどういう意味であれ、大和朝廷にとって「厄介な存在」だったことの証でしょう。地名+健=英雄、という単純なネーミングはこれらの物語が神話だったという証拠で、「史実」であったとして「事実」ではない、ということです。
景行天皇ではなくなぜヤマトタケルか?
古事記という性質上、景行天皇を活躍させるのが筋。だと思います。神武天皇の大活躍に比べて、景行天皇の影の薄さ。この景行天皇の段に関しては、ほとんど「ヤマトタケル」の話で占められます。
もしも完全な「フィクション」ならば、景行天皇=ヤマトタケルで、良いのではないでしょうか??
ここに完全なフィクションではなくある程度の「史実」があり、多くの人にとって英雄ヤマトタケルは天皇の関係者であったとしても、天皇そのものというのは違う、という「常識」があったからではないでしょうか???
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