オウス命は倭比売命から援助を受ける

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オウス命は倭比売命から援助を受ける

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原文

ここに天皇、その御子の建く荒き情を惶(カシコ)みて詔りたまはく、「西の方に熊曽建(クマソタケル)二人あり。これ伏はず礼(ヰヤ)无き人等なり。かれ、その人等を取れ」とのりたまひて遣はしき。この時に当りて、その御髪を額(ヌカ)に結はしき。ここに小碓命(オウスミコト)、その姨(オバ)倭比売命ヤマトヒメミコト)の御衣(ミソ)・御裳(ミモ)を給はり、剣を御懐に納れて幸行でましき。かれ、熊曽建(クマソタケル)の家に到りて見たまへば、その家の辺に軍三重に囲み、室を作りて居りき。ここに御室楽(ミムロウタゲ)せむと言ひ動みて、食物を設け備へたり。かれ、その傍を遊び行きて、その楽(ウタゲ)の日を待ちたまひき。
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現代文訳

景行天皇は子供のオウス命の猛々しく荒々しい性格を見て

「西に熊曽建(クマソタケル)というものが二人居る。彼らは従わないものどもだ。お前は西に向かい、彼らを討て」

と言い、オウス命を派遣しました。

このとき、オウス命は神を額に結っている子供でした。

小碓命(オウスノミコト)は叔母の倭比売命ヤマトヒメノミコト)の衣服をもらいうけ、剣を懐に入れていきました。

熊曽建(クマソタケル)の家にたどり着いて見ると、その家の周囲には軍が三重に取り囲んで、家を作っていました。そこで新築祝いの宴会を開くと騒いでいて、食べ物を準備していました。

そこでその周辺で宴会の日を待っていました。
日本書紀の対応箇所
景行天皇(二十五)川上梟師の宴会と暗殺
ただし、倭比売命から衣服を貰い受ける話はなし
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解説

御髪を額(ヌカ)に結はしき
古代では15歳・16歳までは額の前で瓢の花の形に髪を結っていた、とされます。瓢はひょうたんやユウガオのこと。ユウガオは朝顔ではなくてカンピョウの材料。ヒョウタンには毒があるために食用にはならないのですが、この中から食べられるように交配・選別をしたものがユウガオになっていった、とされます。
三内丸山遺跡にはヒョウタンがあったことから、今から5000年前、つまり紀元前3000年くらいにはヒョウタンが日本に伝わっていたと思われます。
御衣(ミソ)・御裳(ミモ)
ミソとミモは上半身の服と下半身の服という感じ。ここでなぜ叔母が登場し、衣服と剣をもらうか?については日本人のヒーロー像の典型「子供が年配者のサポートを得て鬼を倒す」という形式を踏襲していると考えると、納得できる。

クマソタケルたちは「室」を立てていました。「室」は壁が塗りこんでいる家屋。日本の家屋文化とは違う文化が当時の九州にはあったのかもしれない。

個人的コラム

ヤマトヒメのサポートと伊勢
ヤマトヒメは伊勢の斎宮。神に身をささげた皇族という感じでしょうか。彼女がオウス命に様々なサポートを行います。クマソ征伐だけでなく、今後もです。

ここに私は
●年配者がサポートして大成をなす、という日本のヒーロー像のパターン
●伊勢の斎宮という特殊な力が神話に関わっていると印象付ける
という印象を持ちます。
またヤマトヒメという名前とヤマトタケルという名前はあまりに曖昧。実在ではなく、元々こういった神話があり、ここに入れ込んだと考えたほうがスッキリします。クマソ征伐が歴史の上で事実だととしても、これら物語自体は伝承と思われます。
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