オオウス命の系譜

MENU
TOP>景行天皇(古事記)>オオウス命の系譜
スポンサードリンク

オオウス命の系譜

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

かれ、その大碓命オオウスミコト)、兄比売(エヒメ)を娶して生みし子、押黒之兄日子王(オシグロノエヒコノミコ)。こは三野(ミノ)の宇泥須和気(ウネスワケ)の祖。また弟比売(オトヒメ)を娶して生みし子、押黒弟日子王(オシグロノオトヒコノミコ)。こは牟宜都君(ムゲツノキミ)等の祖。この御世に田部を定め、また東の淡水門(アハノミナト)を定め、また膳(カシワデ)の大伴部(オオトモベ)を定め、また倭の屯家を定め、また坂手池(サカテノイケ)を作りて、すなはち竹をその堤に植ゑたまひき。
スポンサードリンク

現代文訳

その大碓命オオウスミコト)が兄比売(エヒメ)を娶って生んだ子が押黒之兄日子王(オシグロノエヒコ)です。

押黒之兄日子王(オシグロノエヒコノミコ)は美濃の宇泥須和気(ウネスワケ)の祖先です。

大碓命が弟比売(オトヒメ)を娶って生んだ子が押黒弟日子王(オシグロノオトヒコ)です。

押黒之兄日子王は牟宜都君(ムゲツノキミ)などの祖先です。

この時代に田部が設置されました。
東国の安房の水門を定めました。
膳(カシワデ)の大伴部(オオトモベ)を定めました。
大和の屯家を定めました。
また坂手池(サカテノイケ)を作って周囲に竹を植えました。
スポンサードリンク

解説

まずは屯家(ミヤケ)
ミヤケのミは「御」のようなもので丁寧な言葉。ヤケが「家」とか「宅」といった意味で、大和政権が地域を管理するのに立てた、庁舎のようなものか倉庫のようなものかと思われる。
田部(タベ)は屯家の穀物を作る農民
田部は屯家の穀物を作る農民集団のこと。部は大和朝廷に仕える集団のこと。会社の経理部とか人事部とか同じ。ここで作られた穀物(まぁ米だろうけど)が大和朝廷の運営資金(=国家財政)なのか、単に屯家の食料となるだけなのか、それはハッキリしないが、資金となると考えたほうがスッキリはする。
膳(カシワデ)の大伴部(オオトモベ)
大伴部というのがそもそも「従者」というニュアンスなので、料理部署を作った、という意味になる。
東国の安房の水門を定める
これは現在の三浦半島と房総半島の間、浦賀水道にあたる。ようは東京湾の外側が勢力範囲に入ったという意味。
坂手池
奈良県磯城郡田原本町阪手の池のこと

個人的コラム

大和の屯家
大和が本拠地なのになぜ大和の屯家を設置するのか。それまで直轄地という場所が無かったというだけ…つまり大和に朝廷が運営する荘園のようなものが出来たという意味か。

それともここまで大和は勢力範囲ではなかったか????まぁそれは無いだろうから、単純に考えると荘園のようなものが出来たという意味だろう。

でも、もしかするとこれまで豪族の集まりだった大和朝廷が組織となって豪族を管理するための「屯家」が必要になった、もしくは豪族達を押さえ込めるような力を朝廷をやっと持つようになった…か??
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集