景行天皇の皇太子

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景行天皇の皇太子

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原文

凡そこの大帯日子天皇(オホタラシヒコ)の御子等、録せるは廿一王、記に入らざるは五十九王、并せて八十王の中に、若帯日子命(ワカタラシヒコ)と倭建命ヤマトタケル)とまた五百木之入日子命(イオキノイリヒコ)、この三王は太子の名を負ひたまひ、それより余の七十七王は、悉に国々の国造、また和気、また稲置・県主に別けたまひき。かれ、若帯日子命(ワカタラシヒコ)は天下治らしめしき。

現代文訳

全てのオオタラシヒコ(=景行天皇)の子供のうち、記録したものは21柱。記録していない子供が59柱。あわせて80柱です。

その中のうち、若帯日子命(ワカタラシヒコ)と倭建命ヤマトタケル)と五百木之入日子命(イオキノイリヒコ)、この三王は皇太子です。

その他の77柱の子供達は、みんな、国造、別、稲置、県主になりました。

ワケタラシヒコ(=成務天皇)が天下を治めました。
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解説

子沢山
景行天皇はやたらと子沢山。播磨風土記にいくつかの妻問い説話が残っています。

イナミノワキイラツメとヤサカノイリビコの娘の話があります。そのどちらも景行天皇の申し出に一回辞退をしています。

これは当時、そういう結婚の儀礼があったのではないか?といわれています。
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