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五百木之入日子命
投稿日時:2017-09-02 12:15:17漢字・読み | イホキノイリヒコ |
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)は古事記に登場する人物名。日本書紀では五百城入彦皇子と記述されています。父親は景行天皇(12代)。兄弟に成務天皇(13代)やヤマトタケルがいる。
皇族。
男性。
古事記では子供に品陀真若王がいて、品陀真若王の娘が応神天皇の皇后と妃になります。そして皇后の中日売命(日本書紀では仲姫)の子供が仁徳天皇になっています。なので五百木之入日子命から見て仁徳天皇は曽孫。
三王
古事記・日本書紀共に、成務天皇・ヤマトタケルと並んで「三王」と記述がるのでかなり有力な皇子だったのは間違いない。その孫娘が応神天皇の皇后・妃になった理由だろうと思われます。
皇族。
男性。
古事記では子供に品陀真若王がいて、品陀真若王の娘が応神天皇の皇后と妃になります。そして皇后の中日売命(日本書紀では仲姫)の子供が仁徳天皇になっています。なので五百木之入日子命から見て仁徳天皇は曽孫。
三王
古事記・日本書紀共に、成務天皇・ヤマトタケルと並んで「三王」と記述がるのでかなり有力な皇子だったのは間違いない。その孫娘が応神天皇の皇后・妃になった理由だろうと思われます。
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出自
古事記によると
父景行天皇
母八尺之入日売命
日本書紀によると
父景行天皇
母八坂入媛
父景行天皇
母八尺之入日売命
若帯日子命(ワカタラシヒコ)…成務天皇
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)…尾張連の祖先に建伊那陀宿禰の娘の志理都紀斗売を娶って、品陀真若王を有無。品陀真若王は応神天皇の3人の妃の親。
押別命(オシワケ)
五百木之入日売命(イホキノイリヒメ)
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)…尾張連の祖先に建伊那陀宿禰の娘の志理都紀斗売を娶って、品陀真若王を有無。品陀真若王は応神天皇の3人の妃の親。
押別命(オシワケ)
五百木之入日売命(イホキノイリヒメ)
日本書紀によると
父景行天皇
母八坂入媛
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婚姻と子供
古事記では
父五百木之入日子命
母志理都紀斗売(シリツキトメ)…尾張連(ヲハリノムラジ)の祖先にあたる建伊那陀宿禰(タケイナダ)の娘
父品陀真若王
母記述なし
日本書紀では
応神天皇の皇后の仲姫(ナカツヒメ)、その姉の高城入姫(タカキノイリビメ)、妹の弟姫(オトヒメ)が記述があり、仲姫が「五百城入彦皇子の孫」と仁徳天皇の段で記述があるので、三姉妹は五百城入彦皇子の孫です。ただし三姉妹の親が品陀真若王であるとは日本書紀にはありません。
父五百木之入日子命
母志理都紀斗売(シリツキトメ)…尾張連(ヲハリノムラジ)の祖先にあたる建伊那陀宿禰(タケイナダ)の娘
品陀真若王(ホムダノマワカ)…娘たちが応神天皇の妃に
父品陀真若王
母記述なし
高木之入日売命(タカキノイリヒメ)…応神天皇の妃
中日売命(ナカツヒメ)…応神天皇の皇后
弟日売命(オトヒメ)…応神天皇の妃
中日売命(ナカツヒメ)…応神天皇の皇后
弟日売命(オトヒメ)…応神天皇の妃
日本書紀では
応神天皇の皇后の仲姫(ナカツヒメ)、その姉の高城入姫(タカキノイリビメ)、妹の弟姫(オトヒメ)が記述があり、仲姫が「五百城入彦皇子の孫」と仁徳天皇の段で記述があるので、三姉妹は五百城入彦皇子の孫です。ただし三姉妹の親が品陀真若王であるとは日本書紀にはありません。
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古事記からの引用
景行天皇の皇后と皇子
景行天皇の皇太子
品陀真若王と娘たち
また八尺入日子命(ヤサカノイリヒコ=崇神天皇の皇子の八坂之入日子命)の娘の八尺之入日売命(ヤサカノイリヒメ)を娶って生んだ子供が
若帯日子命(ワカタラシヒコ)
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)
押別命(オシワケ)
五百木之入日売命(イホキノイリヒメ)
です。
若帯日子命(ワカタラシヒコ)
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)
押別命(オシワケ)
五百木之入日売命(イホキノイリヒメ)
です。
景行天皇の皇太子
品陀真若王と娘たち
この応神天皇の妻となった娘の父の品陀真若王(ホムダノマワカ)は五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)と尾張連(ヲハリノムラジ)の祖先にあたる建伊那陀宿禰(タケイナダ)の娘の志理都紀斗売(シリツキトメ)の間の子供です。
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日本書紀からの引用
景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女
景行天皇(六)80人の子供、兄遠子と弟遠子と大碓命
仁徳天皇(一)出自と人間性
第一子は稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト=成務天皇)
第二子は五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
第三子は忍之別皇子(オシノワケノミコ)
第四子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)
……
第二子は五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
第三子は忍之別皇子(オシノワケノミコ)
第四子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)
……
景行天皇(六)80人の子供、兄遠子と弟遠子と大碓命
これら天皇の子供達は全てあわせて80人になります。しかし日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)・五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)以外の70あまりの子供達は皆、国群の国造・和気・稲置・県主などに任じて、それぞれの国へと行かせました。それで現在の世で国々の「別(ワケ)」という名はつまり「別王(ワケノミコ)」の末裔です。
仁徳天皇(一)出自と人間性
大鷦鷯天皇(オオサザキノスメラミコト=仁徳天皇)は誉田天皇(ホムタノスメラミコト=応神天皇)の第四子です。母は仲姫命(ナカツヒメノミコト)といいます。五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ=景行天皇の子)の孫です。
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