八尺之入日売命(ヤサカノイリヒメ)

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八尺之入日売命

投稿日時:2017-08-26 12:00:46
漢字・読みヤサカノイリヒメ
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八尺之入日売命(ヤサカノイリヒメ)

八尺之入日売命(ヤサカノイリヒメ)は古事記に登場する人物名。
女性。
皇族。
日本書紀では八坂入媛と表記される。
出自
崇神天皇(10代)が意富阿麻比売(オオアマヒメ・古事記)=尾張大海媛(オワリノオオアマヒメ・日本書紀)を娶って産んだ子供の一人が八坂之入日子命(古事記)=八坂入彦命(日本書紀)。この八坂之入日子命の娘が「八尺之入日売命」となります。よって崇神天皇の孫にあたります。
●八尺之入日売命の母親は記述がない。
●日本書紀には姉妹に「弟媛」の記述がある。古事記には姉妹の記述がない。
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物語・由来

婚姻
八尺之入日売命は古事記でも日本書紀でも景行天皇に娶られ、成務天皇とその他の兄弟を生んでいます。成務天皇に子供はいませんでした。から次の天皇ヤマトタケルの子供の仲哀天皇になります。ちなみに日本書紀では妹の弟媛(オトヒメ)が景行天皇に見初められるのですが、弟媛がセックスを断ったことで、姉の八坂入媛が後宮に入るという物語が示されています。
●成務天皇の次は仲哀天皇仲哀天皇ヤマトタケルの子供。

八尺之入日売命の子供は何人かいますが、その中で五百木之入日子命(古事記)=五百城入彦皇子(日本書紀)は、景行天皇の多くの子供の中でヤマトタケル・成務天皇と並んで三人だけが「太子(=次の天皇候補)」として選ばれています。また、日本書紀では五百城入彦皇子の子孫が応神天皇の妃となっています。
つまり、三太子のうち二人が「八尺之入日売命の子供」な訳で、八尺之入日売命はかなりの有力者だったと思われます。
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出自のまとめ

古事記によると
崇神天皇御真木入日子印恵命
意富阿麻比売(オオアマヒメ)…尾張連の祖先
大入杵命(オオイリキノミコト…能登臣の祖先
八坂之入日子命(ヤサカノイリヒコノミコト…娘の八尺之入日売命が景行天皇の妃に
沼名木之入日売命(ヌナキノイリヒメノミコト
十市之入日売命(トオチノイリヒメノミコト)


日本書紀によると
崇神天皇…御間城入彦五十瓊殖天皇
尾張大海媛(オワリノオオアマヒメ)
八坂入彦命(ヤサカノヒリヒコノミコト)…娘に弟媛・八坂入媛。どちらも景行天皇の妃。
淳名城入姫命(ヌナキノイリヒメノミコト)…倭大国魂を祀るが髪が抜け落ちる
十市瓊入姫命(トオチニイリヒメノミコト)
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婚姻まとめ

古事記によると
景行天皇
八尺之入日売命
若帯日子命(ワカタラシヒコ)…成務天皇
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)…尾張連の祖先に建伊那陀宿禰の娘の志理都紀斗売を娶って、品陀真若王を有無。品陀真若王応神天皇の3人の妃の親。
押別命(オシワケ)
五百木之入日売命(イホキノイリヒメ)


日本書紀によると
景行天皇
八坂入媛
稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)=成務天皇
五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
忍之別皇子(オシノワケノミコ)
稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)…異伝では景行天皇と播磨稻日大郎姫の子供…ヤマトタケルの弟として書かれている。
大酢別皇子(オオスワケノミコ)
渟熨斗皇女(ヌノシノヒメミコ)
渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)
五百城入姫皇女(イホキイリビメノミコ)
麛依姫皇女(カゴヨリヒメノヒメミコ)
五十狹城入彦皇子(イサキイリビコノミコ)
吉備兄彦皇子(キビノエヒコノミコ)
高城入姫皇女(タカキイリビメノヒメミコ)…応神天皇の妃に
弟姫皇女(オトヒメノヒメミコ)…応神天皇の妃に
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引用

古事記からの引用
景行天皇の皇后と皇子
八尺入日子命(ヤサカノイリヒコ=崇神天皇の皇子の八坂之入日子命)の娘の八尺之入日売命(ヤサカノイリヒメ)を娶って生んだ子供が
若帯日子命(ワカタラシヒコ)
五百木之入日子命(イホキノイリヒコ)
押別命(オシワケ)
五百木之入日売命(イホキノイリヒメ)
です。


日本書紀からの引用
景行天皇(四)弟媛は鯉の遊戯に誘われて
そこで弟媛は天皇に言いました。
「わたしは性交接(ヒトトナリトツギ)の道を望んでいません。しかし天皇の意向に勝てず、しばらく帷幕の中(オオトノノウチ=天皇の寝床)に入りましたが、しかし心の快(ヨロコ)びのないことでした。わたしは形姿穢陋(カオカタナシ=不細工)です。長く掖庭(ウチツミヤ=天皇の後宮があるところ)に仕えるのは耐えられません。ただ、わたしには姉がいます。名を八坂入媛(ヤサカイリビメ)といいます。容姿麗美(カオヨシ=美人)です。志(ココロザシ=性格)は貞潔(イサギヨシ=やさしい)です。後宮に入れてください」

景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女
天皇はこれを聞いて、八坂入媛(ヤサカイリビメ)を呼び寄せて妃にしました。八坂入媛は7人の男の子と6人の女の子を生みました。

第一子は稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト=成務天皇)
第二子は五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
第三子は忍之別皇子(オシノワケノミコ)
第四子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)
第五子は大酢別皇子(オオスワケノミコ)
第六子は渟熨斗皇女(ヌノシノヒメミコ)
第七子は渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)
第八子は五百城入姫皇女(イホキイリビメノミコ)
第九子は麛依姫皇女(カゴヨリヒメノヒメミコ)
第十子は五十狹城入彦皇子(イサキイリビコノミコ)
第十一子は吉備兄彦皇子(キビノエヒコノミコ)
第十二子は高城入姫皇女(タカキイリビメノヒメミコ)
第十三子は弟姫皇女(オトヒメノヒメミコ)
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