仁徳天皇(一)出自と人間性

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仁徳天皇(一)出自と人間性

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原文

大鷦鷯天皇、譽田天皇之第四子也。母曰仲姫命、五百城入彦皇子之孫也。天皇、幼而聰明叡智、貌容美麗、及壯仁寛慈惠。

現代語訳

大鷦鷯天皇(オオサザキノスメラミコト=仁徳天皇)は誉田天皇(ホムタノスメラミコト応神天皇)の第四子です。母は仲姫命(ナカツヒメノミコト)といいます。五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ=景行天皇の子)の孫です。
この仁徳天皇は幼い頃から聡明(サト=頭が良い)くて叡智(サカ=知恵がある)しかったです。容貌(スガタカタチ)は美麗(ウルオシ)でした。壮(オトコザカリ)になると仁寛慈恵(メグミウツクシビ=仁があり優しく立派な人)になりました。
古事記の対応箇所
応神天皇の后妃と御子
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解説

五百城入彦皇子
仁徳天皇から見れば、母方の「ひい爺ちゃん」です。

景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女」では景行天皇と八坂入媛(ヤサカイリビメ)の第10子として生まれています。「景行天皇(六)80人の子供、兄遠子と弟遠子と大碓命」によると、ヤマトタケルとのちの成務天皇である稚足彦と五百城入彦皇子の三人だけが、中央に残り、その他の子息子女は地域の国造などに任じられています。ということは五百城入彦皇子は有力な人物だったということになります。
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