菟道稚郎子との皇位の譲り合い

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仁徳天皇(二)菟道稚郎子との皇位の譲り合い

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原文

卌一年春二月、譽田天皇崩。時太子菟道稚郎子、讓位于大鷦鷯尊、未卽帝位、仍諮大鷦鷯尊「夫君天下以治萬民者、蓋之如天、容之如地。上有驩心以使百姓、百姓欣然天下安矣。今我也弟之、且文獻不足、何敢繼嗣位登天業乎。大王者、風姿岐嶷、仁孝遠聆、以齒且長、足爲天下之君。其先帝立我爲太子、豈有能才乎、唯愛之者也。亦奉宗廟社稷重事也、僕之不侫、不足以稱。夫昆上而季下・聖君而愚臣、古今之常典焉。願、王勿疑、須卽帝位、我則爲臣之助耳。」

大鷦鷯尊對言「先皇謂、皇位者一日之不可空。故、預選明德立王爲貳、祚之以嗣・授之以民、崇其寵章令聞於国。我雖不賢、豈棄先帝之命、輙從弟王之願乎。」固辭不承、各相讓之。
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現代語訳

応神天皇が即位して41年の春2月に誉田天皇(=応神天皇)は崩御しました。その時、太子(ヒツギノミコ=皇太子)の菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)は位を大鷦鷯尊(オオサザキノミコト=仁徳天皇)に譲ったので、天皇位を誰も即位できていませんでした。それで菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)が大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)に言いました。
「天下に君臨するものとして万民を治める者は、天のように覆い塞ぎ、大地のように受け入れる。喜びを持って百姓(オオミタカラ)を使役する。すると百姓は喜んで物事に取り組むから、天下は穏やかになる。今、私は弟だ。まだ、文献(サトリ=知識)が足らない。どうして天皇位を継いで天業(アマツヒツギ=天皇の仕事)ができるだろうか。大王(キミ=仁徳天皇のこと)は姿は堂々としている。仁孝(ヒトヲメグミオヤニシタガウコト=人を愛し、親に従うこと=儒教の仁と孝)は遠いところまで評判が聞こえるほどで、歯は長い(=「歯が長い」で長く生きているという意味)。あなたは天下の君主となるに足る人です。先帝(=応神天皇)は私を立てて太子としたのは、才能があったからではありません。ただ愛していたからです。また、宗廟社稷(クニイエ=国家)を運営するのは重大事です。わたしは不侫(ミツナ=不侫は自分を愚かと謙遜した言い方)であり、天皇位を継ぐにふさわしくありません。昆(コノカミ=兄のこと)は上、季(オトト=弟の事)は下に、聖人は君主に、愚人は臣下になるのは、古(イニシエ)も今も常に変わらない決まりです。お願いですから、王よ。疑わず、天皇に即位してください。私は臣下として助けるのみです」

大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)が答えて言いました。
「先の天皇(=応神天皇)は言った。
『皇位は一日も空けてはいけない』と。
だからあらかじめ、明徳(ヨキヒト)を選んで、王を立てて弐(マウケノキミ=皇太子)とした。あなたに天子の位を与えて、嗣(ミツギ=後継者)として、授けた民がいる。その寵愛の印の数々は国中に知られている。あなたが幼くまだ賢くないといっても、どうして先帝の命令を捨てて、たやすく弟の願いに従うことができるだろうか?(できるわけない)」
そう言って、固く即位を断って、受けなかった。お互いに譲り合いました。
古事記の対応箇所
譲り合う兄弟
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解説

儒教の考え
儒教の理想の王というのが、堯・舜という王様で、彼らは自分の子に権力を渡さず、堯は舜に、舜は禹に王位を継がせたんです。それが「すごいいいよねー」というのが儒教にはあります。そこで、「王位を譲る」というのが美徳なんです。
だから譲り合う。これが史実だとは思えない。
菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)
菟道稚郎子は応神天皇の子で、大のお気に入り。かなり頭が良かったようで、文字も読めたよう。だから皇太子となったのですが、実際に皇位を継いだのは仁徳天皇なわけです。菟道稚郎子は死んでしまいます。

日本は伝統的に「弟が皇位を継ぐ」傾向がありました。全部ではないですが、結構な率です。これは日本が儒教とは違うロジックを持っていたからでしょう。日本はそもそもが末子相続であり、その根本はどうやら「海洋民族の風習」からです。

それがここに来て「弟だから皇位は告げない」という理屈を言い出すということは、ついに「年長者が偉い」という儒教の理屈の方が、昔からある末子相続の理屈に勝ったという見方も出来ます。

人によっては仁徳天皇による「クーデター」と言うかもしれません。まぁ、そんなのはわかりっこありませんが。

個人的コラム

菟道稚郎子は皇位を継げない理由があったのではないか?
応神天皇(十一)阿直伎と王仁」から菟道稚郎子は文字が読めた。文字は筆で書かれています。筆は動物の毛で作られています。つまり筆は「死穢(シエ=死の穢れ)」にまみれています。文字が読めるということは、死穢に触れているということであり、「清らか」である「スメラミコト(天皇)」には不適格だったのではないか?と思うのです。似たような立場の人物に「聖徳太子」があります。
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