豊戸別王(トヨトワケノミコ)

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豊戸別王

投稿日時:2017-09-07 13:00:56
漢字・読みトヨトワケノミコ
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豊戸別王(トヨトワケノミコ)

豊戸別王(トヨトワケノミコ)は古事記に登場する人物名。日本書紀では豊戸別皇子。父親は景行天皇。母親は古事記では名前のない「妾」だが、日本書紀では襲武媛(ソノタケヒメ)。
皇族。
性別は男性。皇子とあるので。
ワケについて
トヨトワケの「ワケ」は「血を分ける」のワケと同じで、ちなみに「若者」は血を分けたものという意味です。よってワケは「分家」というニュアンスがあると言われていますが、そこまで強い意味ではないんじゃないかと思います。神から血を分けたという程度の意味ではないかと。
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子孫が「火国別」

日本書紀によると子孫が「火国別」とあります。火の国は現在の「佐賀県・長崎県・熊本県」のあたりのことです。後には「肥国」と記述されるようになります。

また、日本書紀での同腹兄の国乳別皇子(クニチワケノミコ)は水沼別の先祖とされています。水沼別は本来は「水沼」周辺の豪族という漠然とした名前なんですが、九州北部筑紫平野に有力な「水沼別」がいましたので、このことでしょう。つまり、景行天皇の皇子の二人は九州北部と九州中部の有力者となっていくわけです。

景行天皇の九州遠征と皇子

景行天皇は九州に遠征していて火国にも行っていることが日本書紀には書かれています。

これらの皇子は景行天皇が九州遠征をした結果として、親類に組み込まれたのか、大和朝廷の影響下になって皇子を派遣したかでしょうね。
となると母親の「襲武媛(ソノタケヒメ)」の「襲」も「襲の国」のことだと考えた方が自然。この母親と子供は大和朝廷が九州に進出した結果ですね。
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出自と子孫

古事記によると
大帯日子淤斯呂和気命=景行天皇

豊戸別王(トヨトワケ)
沼代郎女(ヌシロノイラツメ)

日本書紀によると
大足彦忍代別天皇=景行天皇
襲武媛(ソノタケヒメ)
国乳別皇子(クニチワケノミコ)…水沼別(ミズマノワケ)の始祖
国背別皇子(クニソワケノミコ)…別伝では宮道別皇子(ミヤジワケノミコ)
豊戸別皇子(トヨトワケノミコ)…火国別(ヒノクニノワケ)の始祖
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引用

古事記からの引用
景行天皇の皇后と皇子
別の妻が生んだ子供は、
豊戸別王(トヨトワケ)
沼代郎女(ヌシロノイラツメ)

日本書紀からの引用
次の妃の襲武媛(ソノタケヒメ)は国乳別皇子(クニチワケノミコ)と国背別皇子(クニソワケノミコ)
ある伝では宮道別皇子(ミヤジワケノミコ)といいます
と豊戸別皇子(トヨトワケノミコ)を生みました。兄の国乳別皇子(クニチワケノミコ)は水沼別(ミズマノワケ)の始祖です。弟の豊戸別皇子(トヨトワケノミコ)は火国別(ヒノクニノワケ)の始祖です。
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