沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)

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沼名木郎女

投稿日時:2017-09-13 09:21:32
漢字・読みヌナキノイラツメ
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沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)

沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)は古事記に登場する人物名。日本書紀では「渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)」と記述されます。古事記でも日本書紀でも父親は景行天皇だが、古事記では母親は名前のない「妾」。日本書紀では八坂入媛。古事記では八尺之入日売命には別に存在するので、記紀で母親が違うことになる。
名前で考える
沼名木郎女は日本書紀では「渟名城皇女」。稲で作った城を「イナキ」というので、「ヌ=水辺とか水潟」の地形を漠然とした表した言葉が「ヌナキ」で、その神格化が原型の名前ではないかと個人的に推測。
配偶者と子孫
配偶者と子孫の記述は一切ない。
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出自

古事記によると
大帯日子淤斯呂和気命景行天皇

沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)
香余理比売命(カゴヨリヒメ)
若木之入日子王(ワカキノイリヒコ)
吉備之兄日子王(キビノエヒコ)
高木比売命(タカキヒメ)
弟比売命(オトヒメ)

日本書紀によると
景行天皇
八坂入媛
稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト=成務天皇
五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
忍之別皇子(オシノワケノミコ)
稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)…異伝では景行天皇と播磨稻日大郎姫の子供…ヤマトタケルの弟として書かれている。
大酢別皇子(オオスワケノミコ)
渟熨斗皇女(ヌノシノヒメミコ)
渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)
五百城入姫皇女(イホキイリビメノミコ)
麛依姫皇女(カゴヨリヒメノヒメミコ)
五十狹城入彦皇子(イサキイリビコノミコ)
吉備兄彦皇子(キビノエヒコノミコ)
高城入姫皇女(タカキイリビメノヒメミコ)応神天皇の妃に
弟姫皇女(オトヒメノヒメミコ)応神天皇の妃に
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引用

古事記からの引用
景行天皇の皇后と皇子
また別の妻の生んだ子供は、
沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)
香余理比売命(カゴヨリヒメ)
若木之入日子王(ワカキノイリヒコ)
吉備之兄日子王(キビノエヒコ)
高木比売命(タカキヒメ)
弟比売命(オトヒメ)

日本書紀からの引用
景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女
第一子は稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト=成務天皇)
第二子は五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
第三子は忍之別皇子(オシノワケノミコ)
第四子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)
第五子は大酢別皇子(オオスワケノミコ)
第六子は渟熨斗皇女(ヌノシノヒメミコ)
第七子は渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)
第八子は五百城入姫皇女(イホキイリビメノミコ)
第九子は麛依姫皇女(カゴヨリヒメノヒメミコ)
第十子は五十狹城入彦皇子(イサキイリビコノミコ)
第十一子は吉備兄彦皇子(キビノエヒコノミコ)
第十二子は高城入姫皇女(タカキイリビメノヒメミコ)
第十三子は弟姫皇女(オトヒメノヒメミコ)
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