景行天皇の皇后と皇子2

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景行天皇の皇后と皇子2

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原文

また伊那毘能大郎女(イナビノオオイラツメ)の弟、伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)を娶して生みましし御子、真若王(マワカ)、次に日子人之大兄王(ヒコヒトノオホエ)。また倭建命ヤマトタケル)の曽孫、名は須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコ)の女、訶具漏比売(カグロヒメ)を娶して生みましし御子、大枝王(オオエ)。

現代文訳

伊那毘能大郎女(イナビノオオイラツメ)の妹の伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)を娶って生んだ子供は、
真若王(マワカ)
日子人之大兄王(ヒコヒトノオオエ)
です。

また倭建命ヤマトタケル)の曾孫の須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコ)の娘の訶具漏比売(カグロヒメ)を娶って生んだ子供が
大枝王(オオエ)
です。
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解説

ヤマトタケルの曾孫?
景行天皇の子供のオウスが後のヤマトタケル…のはずが、ヤマトタケルの曾孫の娘を景行天皇が娶る、なんてことはオカシイ。矛盾しています。
ヤマトタケル、という言葉は「大和の強い男」という意味合いで、本来は個人名ではないハズです。つまりオウスとは別にヤマトタケルなる人物が居たかもしれません。
もう一つの仮説はヤマトタケルの物語が景行天皇よりも前の史実かもしれない、というものです。日本神話はどうやら順番を曲げているよう。実は景行天皇のところにヤマトタケルの物語をブっこんだ、だけという可能性もあります。ところが辻褄合わせが上手く行かなかった。ヤマトタケルの曾孫なる人物を入れてしまった。それはヤマトタケルの曾孫の名前を書きたかった(つまりスメイロオオナカツヒコが有力者だった)という意味です。もしくは辻褄が合わなくなっても、ヤマトタケルの曾孫の娘を娶ったという事実を重要に思っていたのかもしれません。

個人的コラム

ヤマトタケルの曾孫。それで景行天皇の妻。実はこのカグロヒメという女性は応神天皇の妻としても名前が出てきます。

応神天皇の妻の「カグロヒメ」と、ヤマトタケルの曾孫で景行天皇の妻の「カグロヒメ」は名前が同じだけの別人という可能性も――ある、というか、そうなんじゃない??????

ただし、ヤマトタケルの曾孫と景行天皇の妻のカグロヒメは同一人物。これはハッキリと書かれていますからね。古事記の物語上は。

参考:応神天皇の后妃と御子たち2
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